Story of my life

日常に転がる疑問を掘り下げるだけ掘り下げて放置

非効率化の恩恵

ごきげんよう。管理人の吉岡です。

 

このブログをご覧の紳士淑女の皆様は、食事をおいしいと感じているだろうか?

 


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私は1か月半ほどのニート生活中、一日二回しか食事をとらなかった。

ほとんど動かなかったからあまり腹が減らなかったのだ。

 

しかし職業訓練校へ通い始め、やることが増えてくると腹も減るし、食事もおいしいと感じるようになった。

 

働いたり学んだりするのは心身ともに大変な作業だ。ストレスも溜まる。


しかし、その後の食事やお酒は何ものにも変えられない旨さがある。

労働して手に入れられるものは給料だけではない。

 


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昔は、「苦労は金を払ってでも買え」と言っていたらしい。

世の中はどんどん効率化の一途をたどっている。

そうしなければ、とてもこれからの高齢化社会を乗り越えられないからだ。

 

しかし効率化を求めるあまり、我々人間は機械と大差のない存在になっていってるのではないか?

 

自営業の居酒屋でバイトしていた頃は、驚きの連続だった。

 

お客さまが来て最初に出す「お通し」にさえ、揚げ物や煮付けなどの時間のかかる料理を出す。

チェーン店の居酒屋なら、小さなお皿一杯の枝豆くらいが関の山であろう。

 


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大体の料理は冷凍ではなく、その都度作っている。

私のような効率大好き人間には考えられないようなやり方だ。

 

料理が出てくる速度は遅いが、チェーン店ではありえないクオリティの料理を出している。

 

とにかく早く安く料理を食べたい人もいれば、ちゃんとした手料理を食べたい人もいる。

 

効率化を求めるあまり、必要なものさえ削ってしまう社会になってはいないだろうか?

 


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何もかもを効率化しても、素晴らしい社会になるわけではないのだということを学ぶことができた。

 

手間暇をかけるタイプの仕事はこれからの時代、厳しい環境となるだろう。

 

しかし消えてなくなってしまうことはないはずだ。

 

血の通った人間にしかできない仕事を、絶やしてはならない。


 

幸せと孤独の距離

ごきげんよう。管理人の吉岡です。

 

人が幸せや不幸を感じる時、少なからずイメージに左右される場合が多いのではないか。

 


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私がまだ20代前半だった頃、毎週のように友人を集めて飲み会をして、酒を煽るように飲んでいた。

 

友達に囲まれて飲み会をして、二次会のカラオケで騒ぐ。

そんなふうにしていれば、充実していると思えた。

 

しかし今振り返ってみると、少なからず無理をしていたように思う。

その友達たちとはあまり趣味も合わなかったし、別にそこまでお酒が好きなわけでもない。

必死で酒を飲んで酔おうとしていたフシさえある。

 


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今、居酒屋などで若者たちが騒いでいるのを見ると、こんな時もあったなと羨ましく感じる。

しかしよくよく観察してみると、数人はスマホをいじっていたり、無理に酒を飲んでいるようにも見える。

 

もちろん何人かは本当に楽しんでいるのだろうが、一人二人は実はただ寂しいからそこにいるだけなのかもしれない。

 


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男二人で飲んでいる人たちと、たくさんの男女で騒いでいるグループでは、イメージの上では後者のほうが充実しているように見える。

 

しかし実の所は、本人にしかわからない葛藤があるのかもしれない。

 

幸せのイメージは、時として人に孤独を感じさせる要因にもなりうる。

 

もしあなたが他人をみて劣等感を感じる時は、思い出してほしい。

あなたと他人の幸せは違うものだと。

 

幸せと孤独は、世間のイメージほど真逆の概念ではないのだ。

フットワークの軽さ

ごきげんよう。管理人の吉岡です。

 

このブログをご覧の紳士淑女の皆様は、何かをしたいと思ったり、何かを頼まれた時に、すぐに行動に移せるタイプだろうか?

 


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私は趣味でギターを弾くのだが、まだ数年しかしていないのであまりうまくはない。

しかしその割には知り合いが多い。それはなぜか?

 

楽器を弾く人が集まる場所に知らない人が来ると、そういう場なのでギターの話になる。すると、

 

そして、ちょっと何か弾いてよ!

 

と無茶振りをされることが多々あるのだ。

 


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そしてここが分かれ道になる。

そこでとりあえず弾くのか、弾かないのかで後々の評価が決まると言っても過言ではない。

 

たとえ下手だとしても、さっと弾く度胸があれば、一目置いてもらえる。

そこで怖気づいて弾かなければ、残念な話、あまり話しかけてもらえなくなる。

 

私も初めて行く場所で何か弾いてよ!と話を振られた時はかなり緊張した。

何の用意もしていないし、楽器も自分のものではない。

しかしなんとか弾き通すことができたので、名前は覚えてもらえた。

 

今振り返ってみると、もしあの時怖気づいて何もしなければ、もうそこで弾かせてもらう機会はなくなっていただろう。

 


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しかし、やはり大体の人は怖気づいて弾かない人が多い。

そうなれば私もあまり話しかけたいとは思わなくなる。

酷な話だが、そこでその人のが試されるのだ。

 

チャンスがないと嘆く人も多いが、そのチャンスは自分が来てほしいタイミングで来てくれる事などありえないのだ。

 

いつチャンスが来ても怖気づかずに自分を表現できるかで、後々の待遇は驚くほど変わる。

 

とりあえず飛び込む勇気。
これを心がけるだけで自分の選択肢は驚くほど広がる。

 

もし何かを変えたいと思うなら、フットワークの軽さを少し意識してみてはいかがだろうか。

 

おおみそか問題

ごきげんよう。管理人の吉岡です。

 

このブログをご覧の紳士淑女の皆様は、「おおみそか問題」という言葉を聞いたことがあるだろうか?

おおみそか問題とは、何かを極めるにあたってぶち当たる問題である。

 


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つまり、おおみそかやお盆など、休むことが前提の時であってもやりたいと思えるかどうか、という事。

 

自分では好きだと思ってることでも、さすがにこの日くらいは休んでもいいよね~とダラダラしてしまう時はあるだろう。

 

ここでおおみそか問題が指標となる。たとえ他の人が遊んでいたり、自分でもこの日くらいは・・・となるような時でもやりたいと思えるか。

 

おおみそかでもお盆でもGWでも熱心に取り組めるかで、自分の本気度を試すことができるのだ。

 

 

得意なことと、継続できることは明確に違う。

 

得意だとしても続けられなければ、いずれは人に追いつかれる。

 

しかし継続できるなら、ほんの少しずつでも日々前進できるのだ。

そしてそれを得意なことに昇華できる。

 


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どれだけ得意なことでも、性にあっていなければ継続できず、いずれは苦痛となる。

そんな結果になれば得られるものは何もない。

 

昨今では自分の長所を伸ばせだの、やりたいことよりもやれることを探せだのといったキャッチコピーが世に溢れているが、私から言わせればそんな言葉はまやかしに過ぎない。

 

とりあえず行動してみて、苦痛を感じずに継続できることを探す。この方がよほどしっくりくる。

 


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このブログはほとんどアクセスはないが、それでもこうして継続できている。

 

その事実に気付いて初めて、私はこれが性にあっていると自信を持つことができたのだ。

 

得意で、なおかつ継続できるという状態が一番理想だが、得意なことと継続できることが一致していない場合もある。

 

そこを見極めることができれば、自分に自信をつける第一歩になるだろう。

学校というところ その2

ごきげんよう。管理人の吉岡です。

前回のつづきです

学校というところ その1 - 甘ブロガーの華麗なる戯言

 

学びたいという気持ちがなければ人は簡単に堕落する。

国民皆保険生活保護、この国ではよほど度を越して怠けない限りは、野垂れ死ぬことなどありえない。

 

自然界で生きていた頃の我々の祖先は、怠けたものから死んでいく環境だった。

成長する気のない人たちが悪いのではなく、成長しなくても死ぬことはなくなった社会こそ、物事をややこしくしている諸悪の根源であろう。

 


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私は30歳になってからギターを始めたので、やはり同年代の人達と比べると腕前の差は歴然だ。

しかしたくさんの人達と知り合う中で、そういった人は多いということもわかった。

 

若い時弾いていて、結婚して辞めて、子供が独り立ちしてまた再開する、といった人。

 

仕事が忙しくて辞めて、ある時ふと再開した人。

定年退職して老後の楽しみのために始める人、などなど。

 


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日本では年齢を重ねることに恐怖を感じる人が多い。

 

以前出会った25歳位の若者に楽器を勧めたことがあったが、こんな歳から始めるのは無理です、と断られたことがあった。

自分を変えたい、成長したいという気持ちがあれば年齢は関係ないはずだ。

 

現に職業訓練校では私はかなり若いほうだ。ほとんどの人は私の親より少し若いくらいの年の人が多い。

歳を重ねれば少しずつ体も能力も衰えていくのは間違いない。

 

そのペースがあまりにもゆっくりだから気づきにくいだけで、維持する程度ではある時ふと、自分が衰えているという事実を突きつけられることになる。

 


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何歳になっても前向きな気持ちさえあれば、青春を続けることができるのだ。

 

今こそ学ぶ楽しさを思い出して、幸せを噛みしめる人生を送ろう!

学校というところ その1

ごきげんよう。管理人の吉岡です。

 

私は今現在、職業訓練へ通っている。

職業訓練校も学校の一種といえるだろう。

 

企業と学校の違いは色々あるが、私が思うに一番の違いは、何かを学びに来ているということだ。

もちろん企業に務めても学べることはあるが、やはり学校のほうが学ぶことに特化している。

 


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いわゆる優良企業というところに務めている人は当てはまらないだろうが、私が今まで働いてきた企業は、製造業の製造部という、数ある仕事の中でもトップレベルで退屈な職場であった。

 

流れ作業が大好きで入社した、というような人はいないだろう。

つまり生活のためとか家族のためとか、何かしら選択の余地がなく選んだ人がほとんどをしめる。

そこに本人の意志はほとんどないといっていい。

 

話を戻すと、義務教育以外の学校という場所は、何かしらを学びたいという意志がある人が来る場所だ。

もちろん中には雇用保険目当てで入る人もいるが、基本的には自分の意志で来ている人が多い。

 

そこではやはり、頭がよかったり集中力があったりと、何かしらの特技を持っている人が多い。

 


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成長したいという気持ちを育てるためにはどうすればいいか?

それはやはり、能力の高い人たちと一緒にいるということであろう。

 

自分の意志だけで成長できるのは天才と呼ばれる一握りの人たちだけだ。

しかし、周りを能力のある人たちでかためれば、凡人でも成長したい気持ちを維持することができるのだ。

 

つづく

学校というところ その2 - 甘ブロガーの華麗なる戯言

巧遅は拙速に如かず

ごきげんよう。管理人の吉岡です。

 

巧遅は拙速に如かず、という言葉をご存知だろうか?

簡単に説明すると、「遅くきれいに作るよりも、拙くてもいいから早く作れ」という意味である。

 


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このブログを始めた当初はきっちりと記事を書いていたが、あまりにも時間がかかりすぎていた。

しかし、それでは一日一つの記事を作るのも精一杯だ。

そんな調子なら長く続けるのは、よほどの情熱がない限り難しいだろう。

 

もちろん雑に書いているわけではないが、まだまだこのブログも生まれたての子鹿のようによちよち歩きをしている状態だ。

立ち上がってしっかりと歩くようになるまでには段階を踏まなければならない。

 


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そのためには、とにかくスピードを重視して続けられる体制を整えなければならない。

 

日本を代表するYouTuberヒカキン氏も同じことを言っていた。
長く続けられる人は、荒くてもいいからとにかく毎日更新ができる人だと。

この言葉は、ものづくりをする全ての人に当てはまる言葉だと言っても過言ではない。

 


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この記事も15分程で書いている。

最初の時期から考えるとかなりスピードが上がってきた。

1か月ほど続けてきてアクセスは伸びないが、時間がない中でも一日に記事を1つ2つ投稿できるようになったのは大きな進歩だろう。

 

このブログをご覧の紳士淑女の皆様も、何かやりたいことが見つかってそれを継続したいと願うなら、最初はクオリティよりもスピードを意識して見てはいかがだろうか。