ひとりの時間の過ごし方
私は趣味でギターを弾くのだが、楽器という趣味はなかなかにハードルが高い。
まず音。楽器の肝心要の音。音を出せる環境にいなければそもそも始めることさえできない。
周りに家が密集していなくて、近隣住民の迷惑にならないことが大前提だ。
この状況をクリアできるのは、防音室でもあるような富裕層か、隣の家が数キロ離れているようなド田舎でなければならない。
これをクリアしてももう一つ大事な要素がある。それは家族の存在だ。家で弾いても大丈夫という状況でも、その家のなかにいる他の家族に迷惑をかけることになる。遅くとも夜の10時くらいにはやめなければならない。
それでも始めたばかりの時はちゃんとした音など出せない。自分は夢中になっているから気付かないが、かなりの不協和音を奏でていることになる。
家の外に騒音オバちゃんがいるならまだわかるが、家の中にいるとなれば、それは他の家族にとってはリラックスできるはずの家が地獄のような空間になってしまう。つまり楽器は始める前からできる人が限られているのだ。
そしてもうひとつ最大の難関がある。それは、楽器というものは習得にかなり時間がかかるということだ。例えばギターの弾き語りで言うなら、まずギターを覚える。そしてそれに合わせて歌う。
ギターで一曲弾ききるだけでもかなりの指力がいる。それができるようになったら歌う。ここまででもかなりの労力だ。そして先程の騒音問題がまたやってくる。ギターだけならともかく、歌まで歌うとかなりの騒音だ。それがヘタクソなら周りの人にとっては拷問以外の何者でもないだろう。
そう、やはり楽器というのはハードルが高い趣味である。それは間違いない。しかしある程度のレベルになってくると俄然楽しくなってくる。
色んな人に誘われてライブができる場所が増えてくるし、周りにいる人達とも音楽という共通の話題があるのですぐ話せるようになる。
もちろん音楽という共通の趣味であっても、モチベーションやレベルの違いで仲良く仲良くなれない人もいるが、それは仕方ない。
さらに上級者になるとアドリブができるようになるので、いきなりセッションなどもできるようになる。このレベルになるともう音楽は手放せなくなるだろう。私も早くこのレベルになりたいものだ。上手い人ほど楽しそうに見えるのはこれが理由ではないだろうか。
楽器というものはひとりの練習が大切だ。それをちゃんとこなしていれば、周りの人とも楽しめるようになる。
つまり楽器は、一人でも複数人でも楽しめる万能の趣味なのだ。
趣味としてのハードルは高いが、それに見合うだけのリターンがあるのもまた間違いない。
ストーリー・オブ・マイライフ
ブログタイトルを変えてみた。
なんの気なしに始めてなんの気なしに続いているブログ。とはいえ継続していたら少しづつだがアクセスが増えてきた。本当に少しだが。
前々から気になっていた。ちょっとブログの画像も荘厳すぎだし、タイトルも偉そうだ。
正面に監視カメラが付いていて、落ちたら突き刺さりそうな、槍みたいなものがついている巨大な門構えの家のピンポンを気楽に押せるかと言われたら無理であろう。
かといって、ポストにはギュウギュウに郵便物が詰め込まれて、あまりにボロボロで異臭を放っている家のピンポンも押したくない。
適度に庭が整備されて、ちょっとした花でも植えられていて、でも洗濯物が干してあって生活感が垣間見える、そんなちょうどいい塩梅の門構えというのが一番難しい。
表札にあたるブログ画像も大切だ。とりあえずかわいい動物の画像でも載せてたらいいか、でも猫はベタすぎるな、と思いハリネズミの画像をチョイス。
タイトルも、とりあえず英語にしとけばかっこよくて洒落た感じを出せると思い横文字をチョイス。
このブログを始めた当初は私の好きなシンガーソングライターの記事を書いていた。しかし、一人の歌手のネタでそこまで話は続かなくなり、じゃあ私が継続してきた音楽鑑賞の記事にも手を広げてみたが、私自身そこまでマニアックな記事も書けないのでほどなくストップ。
ガチの音楽記事を見てみたが、とてもかなわない…知識的な意味でもユーモア的な意味でも。とはいえそのくらいのレベルになると、読める人も限られてくるのでそこらへんのバランス感覚も難しい。
結局ネタが切れそうもないのは、普段の生活からでた疑問。そこに落ち着いたのでLIFEという言葉が入った好きな言葉をチョイス。
色々なブログを見てみたが、そこまで文字数は多くなくてもいいのかもしれないと思い始めた。
ブログという媒体を使っているならガッツリ文字数を稼ごうと思ったが、逆に読む側になればそういったブログはあまり読めない。
かなり内容の濃い本格的なブログも見たが、内容がガチすぎるがゆえか、あまり読者登録もされていなかった。そういった事例もある。
日々のちょっとした楽しみに書くのが親しみやすくていいのかもしれない。ガッツリとした文章なら他の媒体を使ったほうがいいのかも。
ブログを始めて三ヶ月ほどたったが、結局毎日書ける文は日常生活のあれこれだ。あまり欲は出さずに、続けることを念頭に置いて書いていこう。
謎の人物からのLINE
先日、見ず知らずの人からLINEが来た。
…マジであなたは誰?
このブログを見てくれている人は知っているかもしれないが、私は合コンに行きまくっている。
なので結構色んな人と連絡先を交換しているが、私は記憶力がいい方で、少しでも話したら覚えているのだが、このLINEの送り主は全く覚えがない。
詐欺か?とも思ったが、その可能性はゼロに近い。なぜなら…
X「久しぶり!元気?」
私「元気元気!そっちはどう?」(合わせてみた)
X「元気だよー、○○行ってるんでしょ?」
!!!
なんとこの人物は、私が最近行っている場所を知っていたのだ!
しかもその場所に行き始めたのはここ数ヶ月のこと。つまりかなり最近知り合った人ということになる。
もしかしたら誰かから私の話を聞いたのかもしれないと思い、カマをかけてみた。
私「俺そのこと話したっけ?誰かから聞いた?」
X「何いってんのー、自分で言ってたじゃんw」
私と直接話したらしい…これはいよいよ事件の香りがしてきた。
私はあらゆるネットワークを駆使して調べたが、やはり全く思い出せない。
ここで私は、これは何かのネタになる!とジャーナリスト心に火が付き、知らない人とどこまでやり取りができるか挑戦したくなったのだ(マジでクズ)
しかしやはり悟られてしまったのか、途中から連絡が来なくなってしまった。名前にも覚えがない、どこで会ったのかも見当がつかない…よほど印象が薄かったのだろうか。
色々と考えてみているが、どうしても思い当たる人がいない。一体彼女は誰だったのか。私の近況を知っている人だから、もしかしたら意外と近くにいるのかもしれない。
続報を待て!
ニート、後輩に会う。
今日は久々にかつての後輩と食事へ。
私は基本的に誰かと話していて楽しいと思ったことがないが、こいつは面白いやつなのだ。
普段、誰かと一緒に話すといったら、趣味で会う人以外は合コンで出会った人ばかり。
女性と話すのも楽しいのだが、やはり初対面の人と話すのは気疲れするのもまた確かなことだ。
男とだらだらと食事しながら馬鹿話をするのが新鮮で、楽しかった。
後輩は新しい職場でストレスがたまっているらしい。色々と面倒な職場とのこと。
後輩は初めて一人暮らしを始めたのだが、それも新しい職場の人に言われて始めて、その職場も社員の人にかなり強引に入れられたとのこと。
おいおい…それは自分の責任だろう…と思ったが、確かに私も若い頃は嫌といえずに面倒なことを背負い込んだことがあった。
今はたまの飲み会なども行かないか、参加しても一次会ですぐ帰る。
やりたいことが見つかれば、おのずと効率よく動けるものだ。年を重ねて図太くなったという面もある。
やりたいことがあるなら時間はいくらあっても足りないと思うようになる。
本当は今すぐ眠りたいのだが、何か一つでも記事を書こうと眠い目をこすり、このオンボロPCのキーボードを叩いている。
嫌なことを断れない人は、極端にいえば本当にやりたいことが見つかっていないのかもしれない。
特に行きたくもない飲み会に参加して、だらだらと最後まで居続ける…
それが完全に無駄なことだとは言わないが、次の日が潰れてしまうのはもはや火を見るより明らかだ。
偉い人の名言や、自己啓発本を読んでも、目標がなければ走り出すことさえできない。
目標が見つからなければ、時間が限りあるものだと認識することはできない。
我々はその時間をこの瞬間も使い続けている。それはいつか枯渇して死という代償を払う。
その日は自分で思っているほど遠い日ではないのだ。
Google、ついに重い腰を上げる
ついにこの日がやって参りました。Google製スマートフォン「Pixel」日本上陸!パチパチパチパチ
説明しよう!Pixelとは?
Googleという会社はみなさんご存知であろう。その名を関した検索エンジン「Google」、無料メールサービス「Gmail」、無料動画サイト「Youtube」など、誰もが一度は使ったことのあるサービスを提供する巨人、それがGoogle。
先程上げた例をよく見てみよう。これらは全て、サービスである。モノではない。つまりGoogleとはサービスを提供する会社なのだ。そのGoogleが今回、スマートフォン本体をプロデュース。それがPixelだ。
あえて先程は書かなかったが、スマートフォンに採用されているAndroid OSもGoogleが提供しているものだ。(カネにモノ言わせて買収した)
このAndroidというOSはフリーウェアである。つまり、誰もが無料で!しかも勝手に改造してもいいOSなのだ!
しかし無料なのをいいことに、各会社はヘンに個性を出そうとAndroidをいじくり倒し、見るも無残なユーザーエクスペリエンを提供しているスマホも珍しくない。
Androidのスマホを使っている人なら覚えはあるだろう。使ったためしもないしこれから先も使うことはなさそうなアプリが最初から山ほど入っている。邪魔くさい。非常にカンに触る。
こういった状況を重く見たGoogleは、一切、何も改造されていない、純粋無垢な、イノセントワールドとも言うべきスマホを作ろうと決意。それが先日発表されたスマホ、Pixelである!!!
ちなみに純度100%のAndroidスマホというものは、これまでにもでたことはある。Pixelが初めてではない。初代のイノセントAndroidはNexusというスマホだ。他にもモトローラという会社が出したスマホもイノセント。そしてEssential Phoneと呼ばれるスマホもイノセント。ちなみにこのスマホを作ったのはAndroidを開発した人らしい…
Pixelと他のAndroidスマホ、何が違うのか?
満を持してついに発売されたPixel。話の腰を折ることになるかもしれないが、実はこのPixelは初代ではない。今回は三代目である。
なぜPixelの日本発売が遅れたのかと言うと、それはPixelシリーズのウリである「Googleアシスタント」が理由である。
Googleアシスタントとは、いわゆる音声操作のことである。膨大な情報を持つGoogleがその強みを生かし、AIを強化した賜物がそれだ。
しかし初代Pixelが出た当初、Googleアシスタントは日本語対応していなかったのである。つまり、Pixelと他のAndroidスマホの差別化ができなかったから、というわけだ。
今回ついに
Googleアシスタントも日本語対応、
カメラ性能もiPhoneを凌ぐレベルになり、
日本独自の規格「おサイフケータイ」にも対応。
まさに鉄壁の構え。
ガッチガチに準備をしてからの〜Pixel投入。au以外のキャリアからも発売される。ここまでお膳立てをしてヒットしなかったら間違いなくPixelの日本担当者のクビが飛ぶであろう。南無三。
おまけ
私が地味に驚いたのは、なんとUSB type-C接続のイヤホンが発売されたこと。値段もリーズナブル。買おう。
私の相棒
ついに私の車の走行距離が10万キロを超えた。新車で買ってから13年。登録から13年以上の車は税金が上がるので、皆様ご注意を。
世間的にはそこまで走ったら元をとったことになるなどと言われているが、買ってからも税金やらガソリンやら整備代がかかるのが車だ。どれだけ走ったところで元をとったなどと言えるはずはない。
とはいえ、人間でいうなれば還暦を迎えたといったところ。ずいぶんお世話になった。私が住んでいるのは田舎だから車がなければ何もできない。
中古車屋で働いている人は10万キロを超えた車を買うらしい。そこまで乗ってもまだ走っているなら当たりの車だし、悪いところがあったのならすでに直しているからだ、とのこと。業者の言うことなのでホントかどうかは知らないが。
私は今の所、この車しか乗ったことがない。10年以上前の軽自動車だ。燃費も軽にしては良くないし、今の軽は4速まであるが、私の車は3速までしかない。つまり遅い。
坂道ではとんでもないエンジンの音がするが、音の割には全然進まない。高速道路で時速100キロだそうものなら、車体はビビりまくりバラバラになりそうだ。なんだこのオンボロは。
とはいえ、この車でたくさんのところへ行ったものだ。10万キロを超えても全く悪いところもない。買い換えようかと思ったが、悪いところがない車の方が貴重だ。私より後に買ったのに先に車が壊れた人も何人かいるくらいだ。
友だちや家族、元恋人や付き合うまでには至らなかった人、色んな人達と一緒に、もしくは一人でいろんなところへ行った。何の故障もなく。多少後ろを擦ったくらいで、凹みなどもほとんどない。車も人間と同じだ、健康第一!スピードや安定性など二の次だ。
これから先もコイツと一緒に生きていくのだろう。次は誰と、どこへ向かうのか。
でもきっとそこは、今はまだ知らない誰かと、行ったことのない場所であって欲しい。
北極星
ここ最近、自分の投稿する記事はどことなく暗く、重いものが多くなってきた。そんな気がしてきた。というか絶対そうだ。暗い、暗すぎる。
私が文章を書く理由の1つはストレス解消だ。多分人よりも色んなことが気になってしまうから、ストレスが溜まりやすいのだろう。
そんな自分の感情を整理整頓するために文章を書いていたら、かなり精神衛生が保たれるのだ。
ストレス解消の為に文章を書いているのだから、やはりどことなく話題も暗いものに陥りがちだ。でもそれでも最近は特に暗い文章が多い気がする。
それというのも、今私が無職なのが原因かもしれない。自分で思っているよりも、社会的な信用度を失っていると感じるからだ。
うまくいっている部分もあるが、うまくいかない部分もある。たくさんのことに挑戦しているから、そのぶん失敗したり、結果がでないことになる。
失敗に慣れる為に行動しまくっているが、だからといって傷つかないわけではない。些細なことでも気になってしまう私だ。
引きずってしまうこともある。そして物事をいい悪いで判断してしまう。
ついつい物事をゼロか100で判断してしまう。それは合理的でないどころか、自分を苦しめる要因にさえなる。
極端な優劣がつけられるようなことなど、世の中にはそう多くないはず。
私は疲れている。しかしブログは書きたい。なんとしても書きたい。
自分の力で情熱の炎を強くすることはできるのだろうか。
最初から何事も、選ばれている人は決まっているのだろうか。
何もトップになれるわけでもないし、なろうとしているわけでもないのに。
それでも、暗いことばかり書いていたら、なんとかして明るい話題を探そうとしている自分に気付いた。
どんなに大変な状況でも笑おうとする強い力を誰もが持っているはず。
ただ、投げやりになったりヤケになるのがあまりにも簡単だからそうなる人が多いだけで。
自分の人生の責任をとれるのは自分だけ。一日一日を潔く過ごすな。
もっと悪あがきして、這いつくばって、諦め悪く、貪欲になれ。
暗闇の中に光る希望を見つける生命力は、すぐそばにある。