逃げ道の用意された世界に必要なもの
昔、休みの日に用事がなくて一人でいると不安を感じた。しかし今はその状況になっても不安を感じない。なぜか?
ごきげんよう。管理人の吉岡です。
昔だったら不安に思えたことが、今ではそう感じなくなった。その理由は?
20代前半の頃の私
私が20代前半だった頃、用事のない休みというのが不安で仕方なかった。
とにかく何でもいいから用事を作って、一人でいる時間をなくそうとしていた。いわゆるメンヘラというやつだ。
友達をたくさん誘ってカラオケにいったり、飲み会をしたり、特に用事もないのに車で遠くまで行ってみたり、、、とにかく暇になるのが怖かったのだ。
無理にでも休みの日が充実していると思い込んでいないと、不安で押しつぶされそうだった。
その原因は、なかなか彼女ができないせいでもある。なんといっても普通に生活しているだけなら出会いがない。
しかし若い頃はプライドが高くて、自分から探しに行ったり、人に紹介してなどということもできなかった。
友達もいるにはいたが、今考えると気があっているとも思えなかった。ただ、お互いに暇で遊ぶ相手もいなかったから一緒にいただけだったのだろう。
趣味もなく、仕事も変わらず、ほとんど人間関係も同じだった。そんな生活が何年も続いた。
それが今となってはどうだろう。むしろ休みの日はじっくり一人で色々考えたいことがたくさんある。
一人でいることに不安があまりなくなった。友だちの数はむしろ減ったというのに!それはなぜか?
30代前半の私
1.趣味ができたから。
私は現在30代前半だ。この歳にもなれば、大体の人は結婚して子供も生まれる。そんなわけで今まで遊んでいた人たちとは、きれいさっぱり縁がなくなった。
もちろん結婚しても友だち付き合いが続いている人はいる。それはつまり私の場合、無理をしてまで遊ぶほど関係を続けたいと思える友だちがいなかったということだ。
友だちはきれいさっぱりいなくなった。それは間違いないが、その代りに趣味のギターで知り合いが増えた。こういった知り合いのほうがずいぶん都合がいい。
仕事の同僚だと、どうしても話の話題が愚痴になる。好きで入った職種でもない限り、仕事場に集まるのは縁もゆかりもない人たちばかり。そんな人達と共通の話題となると、愚痴か下ネタくらいしかないのだ。
2.出会いの機会を得ることができた。
今はいわゆる合コンというものに定期的に参加できるようになった。これは大きい。やはり女子と話ができないと、日々の生活も面白みがなくなる。
そんなに頻繁に参加しているわけではないが、これがあるだけで精神的な拠り所ができているのは間違いないだろう。
この2つの要因があって、休みの日に一人でいても全く動じずにいられるようになった。
意識してこの2つの、いわば逃げ場所を作ったわけではない。いつの間にやらできていたのだ。おそらく無意識のうちに心が安らげる場所を探していたのだろう。
私は精神的にもろい性格だ。別に一人でいて平気な人もいるだろうが、私的には絶対無理!
こんなふうに楽観的に考えられるようになったのも、自分の性格に合わせた生活を考えるようになったからだろう。
これからの社会
無理だと思ったことはやらない、でも向いていると思ったことは全力でやる。そういう考え方が当たり前だと思える社会になれば、もっと日本の幸福度は上がるはず。
我慢して生きていくことが素晴らしいという、自己犠牲の美化こそ、過労やイジメを生む元凶なのだ。
これからの社会は、積極的に逃げ道や出口を作る必要がある。
そういった需要はこれから爆発的に増えていくだろう。
携帯各社なども2年縛りなどの、出口を塞ぐという戦略で発展してきたが、もはやそういったやりかたはこれからどんどん廃れていくだろう。
出口を作り、その先にまた別の選択肢を用意するというビジネススタイルになり、社会の新陳代謝を上げていく。
不思議なものだ。これだけ新しいものがどんどん生まれてきているというのに、社会からの逃げ道や出口は驚くほど少ない。
しかし注意しないといけないのは、逃げ道の先をデザインできるのは、自分しかいない。つまり、逃げ道が用意された社会は、今までの社会よりも強い自分の意志が必要なのだ。
何の意志もなく逃げただけでは、これから先も逃げ続ける人生となる。
逃げ道の用意された世界に必要なのは勇気。
私はその勇気を持っているだろうか?