Story of my life

日常に転がる疑問を掘り下げるだけ掘り下げて放置

ビビリの私の自立

 私は自立するのが遅すぎた。3年ほど前、当時の彼女と同棲するために初めて実家を出た。その時29歳。

 

 私は小さい頃から臆病者だった。自分でも自覚できるほどのビビリだが、物心付く前の子供の頃からビビリだったようだ。

 


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 私には妹がいるのだが、親の話によると妹は外の排水口などをジャンプして飛び越えていたらしいが、私は少しでも下が見えると怖がって避けて通っていたらしい。

 

 そんなこんなでずっと私は正体のわからない恐怖心にとらわれて生きてきた気がする。社会に出た時も、私は長男だから遠くに就職してはいけないとか(もちろん親に遠くに行くななど言われたことはない)、少ない給料でも安定して働き続けなければいけないなど、誰にも注意されていないことにビビり続けて生きてきた。

 

 ビビリが故に私は挑戦することをひたすらに避けてきた。さらに悪いことに学生の頃も、例えばじゃんけんで負けたやつがみんなの前で作文を発表、などの場面で負けたことがなかった。偶然も味方して、私は一切の挑戦から逃げることができた。

 

 それに加えて私はそこそこ頭がいい。なのでこれをこうすればこうなる、のような想像をしてしまい、そういった人間にありがちな、考えれば考えるほどハイリスクローリターンという幻想に囚われてしまい、やはり挑戦から逃げてしまった。こうして振り返ってみると、本当に逃げてばかりの人生だったなと泣けてくる。

 

 挑戦しない人間がどんな性格になるかはだいたい想像がつくだろう。挑戦しない人間というのはつまり、失敗もしないし負けることもない。それが自分の手柄だと勘違いしてプライドはメタボリックに膨れ上がり、そうなれば他人の話など聞けるような状態ではない。周り全てが自分より劣って見えるという残念な人間の出来上がりだ。

 


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 そんな状態で20代中盤を迎えて、さすがの私も焦り始めた。ただでさえ少ない交友関係なのに、更にどんどん人がいなくなっていった。友だちも結婚していくし、自分のプライドにがんじがらめにされ、行動ができない…当時の私はかなり追い詰められていた。

 

 そして少しずつ藁にもすがる思いで友だちに合コンできるように頼んでみたり、趣味を探すようになったりして、少しずつ自分というものを作っていけるようになった。

 

 もともとビビりだったからか、とてつもない危機感があったのを今でも覚えている。

「このままではひとりぼっちになってしまう」

そんな思いが常に胸の真ん中にあった。

 

 ここで行動できるようになったから、私の場合はまだ幸せな方だろう。もっと早くに行動できていたらと思うこともあるが、一生自分のプライドに支配され続けている人もいる。おそらく自分でわかっていてもどうにもできないものなのかもしれない。

 


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 日本は過剰なほど豊かになった。よほど度を越して怠けない限り、日本で食いっぱぐれる事はできなくなった。発展途上の社会においては、生命を維持することが幸せに繋がっていった。しかし社会が成熟して、生きることが簡単になりすぎてきた。すると、生命を維持することと幸せの因果関係が乖離してしまった。

 

 生命を維持した上で幸せを追求していたのが、幸せになるために生きていくようになった。これは逆に言うなら、幸せを感じられないなら生きていく意味はない、という自殺の動機になりうる価値観だ。先進国で自殺率が高くなるのはこれが原因ではなかろうか。

 

 自立するために必要なのは「居場所」である。人は生まれた時には、「家庭」という居場所があり、小学校・中学校の「義務教育」という居場所を社会が用意してくれている。しかしそれ以降の居場所は自分で探さなければならない。

 

 しかし居場所を探すという能力は、誰も教えてくれない。自分で探そうという気持ちを持っている人はいいが、そもそも居場所がないということを自覚できていない人も多い。窮屈さを感じているのにそこから出て行く術がわからないのだ。

 

 もし探したいと思ったとしても、行動に移さなければならない。行動することには失敗するリスクが伴う。しかし行動する理由は他人には教えられない。教えられないどころかひどい場合は失敗のリスクばかりを学校は教えてしまう。

行動は、自分自身で体験することでしか、その重要性が後々まで響いてくるとわからないのだ。

 

 何をするにも答えが予め用意されている社会となった日本。答えを丸写しして乗り越えた人生の先に幸せなどあるはずがない。達成感や幸福感といった感情は教えることはできない。自分でしか感じられないことだ。

 

 あらゆるものごとが簡単になってしまった社会。そんな社会はつまらない。つまらない社会から面白い人が生まれるはずもない。テクノロジーの進化に置いていかれてしまった人間。

 

 答えの用意された世界から、問いを考える世界へ。問いを持つことこそが、新しい時代の幸せになる。