Story of my life

日常に転がる疑問を掘り下げるだけ掘り下げて放置

文章は二種類に分けられる

大まかにわけて、文章は二種類に分けられる


1.ノンフィクションの文章。


 本で例えるなら自己啓発本。これは、頭の中を整理整頓するための文章。もともと自分の頭の中にある情報を、自分や他者が理解しやすいように、置き場所を決め、ジャンル分けをするということだ。


 つまりこの文章は、もともと頭の中にある情報、事実を文字にしたもの。

 


2.フィクションの文章。


 本で例えるなら小説。これは自らの体験や聴いた話など、自分の中にある情報も使うが、存在しない情報を自分自身で作り出す行為。一言で言うなら「作り話」


 詞などもフィクションとしての文章になる。これもある程度、作り話としての文章に似ているが、文字数に限りや制限があるので、作り話よりも想像する余地が大きい。


 作り話としての文章でなくても、想像力が必要な文章がもう一つある。それは仮説である。学者がやるような、〇〇だということは、こうすれば△△になるのではないか、など。


 文章は、「情報を整理するための文章」と、「作り話としての文章」の二種類に分けられる。


 つまり今あなたが読んでいるこの記事は、「情報を整理するための文章」にカテゴライズされる。

 


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共通点

 


 情報を整理するのは、ある程度のテクニックでどうにかなる場合も多い。素材はあるのだから、あとはどう料理するかを考えれば良い。つまり自己啓発本を書く人というのは、当たり前の事実をこねくり回して飯を食っている人に過ぎないのだ(失礼)


 しかしストーリーを作るとなると、全く違う作業工程になる。たくさんのアイデアを1つの意味のあるストーリーにするため、その隙間は自分で想像して作らなければならない。


 情報整理と違うのは、素材集めから自分でやらなくてはいけないということだ。つまり小説家とは、素材もなしに料理をしようとする酔狂な人間といってもいいだろう(失礼)


 しかし情報整理としての文章だとしても、すべての情報が揃っていない場合もある。その時は想像でその部分を埋めるしかない。情報整理だとしてもいくつかのフィクションは必要なのだ。


 作り話には起承転結がある。それがなければ盛り上がりもわからないし、ひどい場合は話が成り立たない場合もある。起承転結も整理整頓の一種と考えるなら、両者には共通点があるということになる。


つまり、文章を極めるには、「情報を整理するための文章」も、「作り話としての文章」もどちらも必要だということだ。

 


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まとめ

 


 最近、文章を書くことに飽きたわけではないが、なんだか自分がいつも同じようなやり方で文章を書いているのではないかと、違和感を感じた。


 その原因を突き詰めていくと、基本的に私は情報を整理するための文章ばかり書いていたということに気づく。


 その作業も楽しいのだが、私としては色んな種類の文章を書いてみたいので、ブログに詞を書くという意味不明なことに挑戦してみた。


 やはりいつもと違う頭の部分を使っている感じがして楽しかった。同じ文章でも2つの種類があり、かつその2つには共通点があるので、どちらも挑戦してみるべきだということがわかった。


 読む本も自己啓発本が多い。やはりそちらに引っ張られて面白みのない人間になってしまっていた。これからは小説も読もう!