Story of my life

日常に転がる疑問を掘り下げるだけ掘り下げて放置

自立ってなんだろう

 自立とは、自分で自分の面倒を見ること。しかし自分たちの意識していないところで、社会に支えられている面もある。


 一番簡単な例は会社員であること。働いていれば、それだけで社会の一員として信用される。


 今、私は無職である。体調を崩して仕事を辞めた。自分の中でそれは言い訳にはならないだろうと思っていたが、世間は違う。


 無職というだけで可哀想な目で見られたり、気を使われる。びっくりするくらい信用もされない。


 働くことは当たり前というか、働くことが人間として大前提という空気感が社会に溢れている。


 別に何年も働いていないわけではない。数ヶ月だけだ。しかし、そんなことは世間からすれば関係のないことなのだろう。


 なんとなく世間から自分の存在を無視されている気がする。働いていた時は気付かなかったが、会社員というだけで社会に守られていたのだ。


 貯金があるから別に働かなくてもいいとか、保険があるからもうしばらく大丈夫とか、そんなことは世間はお構いなしだ。


 とにかく何かしらの組織に属していなければならない、そういったいわば「沈黙の村八分のような圧力を感じる。


 人は何かしらの組織に属することによって敵と味方をわけている。というか、わけなければ気が済まない生き物なのだ。


 そして社会という組織に属するのは大人として最低限度。それすら満たしていないなら信用されない。


 キングコング西野亮廣さんはかつて、ひな壇芸人というものを拒否し、猛烈なバッシングを受けた。


 当時は芸人ならひな壇にでるのが当たり前だった。しかし彼はそれを拒否し、日本中から叩かれた。


 彼の言い分によれば、芸人という肩書にとらわれたくないと。そう、肩書で人は人をわける。しかし彼はそんなことに興味はなかった。


 自分の信じた道を一人で歩く決意をしたのだ。


 私は世間を無視している認識はないが、世間は私を無視しているかのように感じる。最低限の入場料も持っていない人間だと。


 結果を出していない人間に同情してくれるのは身内くらいのものだ。


 私には借金はない。働いていないが社会保険や住民税などもすべて払っている。


 一般の会社員と同レベルの税金を払っている。しかし何かが足りないと思われている。


 私は自立しているのだろうか?自分で自分のことを認めても、世間は認めてくれない。
社会という組織に属するのは当たり前というよりも、意識すらできないコミュニティ。


 働いている私と、働いていない私は同じ人間ではないのか?


 この怒りは忘れずにいよう。