Story of my life

日常に転がる疑問を掘り下げるだけ掘り下げて放置

他人事社会

 今日読んだ記事に興味深いものがあった。それがこれ。

 

http://www.椎木里佳「親近感なんて持たれたら終わり。批判する気も起きないスーパースターになる」|新R25.com/https://r25.jp/article/609301585336376639?utm_medium=social&utm_campaign=share_on_site&utm_content=app

 


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「原因自分説」


 原因自分説とは、嫌なことや理不尽なことがあっても、すべての原因は自分にあるという考え。


 物事を自分事に考えられない人は多い。これは特に日本人に多いように思う。


 例えば、世間を騒がせるようなニュースがあった時、犯罪を犯した個人ではなく、会社側が世間に対して「大変お騒がせしました」みたいな謝罪をトップの人たちが行う。


 世間に謝罪するといえば聴こえはいいが、翌々考えてみるとぼんやりしすぎていないか?


 しかしおそらくバッシングする人が多すぎるからせざるをえないだけなのかもしれない。


 そういったバッシングをする人は自分は安全なところにいながら身も蓋もない批判をする。


 正々堂々と批判する人がいないから、謝罪する側も誰に謝ればいいのかわからないのだろう。

 


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「生まれてきた使命」


 生まれてきた使命感を持っている人も少ない、というか正確にいうなら持つ必要性がないほど日本は豊かになってしまったのだろう。


 ジャレド・ダイアモンド著の「銃・病原菌・鉄」という本に書いてあったが、意外にも先進国よりも発展途上国の人のほうが頭がいい人が多いらしい。


 その理由は、発展途上国というのは衛生状態がよくないから、生まれつき体が丈夫な人しか生き残れない。そして社会が不安定で争いごとが絶えないから、生き残るためには知恵が必要になるからだ。


 それに対して先進国というのは、衛生状態もいいので遺伝的に体が丈夫でない人でも生き延びることができるし、社会が安定しているから頭が良くなくても社会が助けてくれる。


 これを言い換えるなら、本人に頑張る意志がなくても先進国に生まれた時点で長生きする確率が格段に上がるということだ。


 つまり使命感など感じる必要がない。頑張らなくても社会が助けてくれるからだ。

 


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変化する幸せ


 社会が変化していけば、そこで生きる我々の幸せも変化する。


 戦時中だったら生きているだけで幸せを感じられただろうが、今の世の中に生きる人たちは生きているだけでは幸せは感じられない。


 これを贅沢な悩みだと考えれば、そこで我々の幸せも変化が止まってしまう。


 「原因自分説」と「生まれてきた使命」を考えられる社会というのはとても素晴らしいこと。


 衣食住といった生きていくのに必要な最低限の物事のコストがどんどん下がっているから、あとは本人の意志でいくらでも遊んでいくことができるのだ。


 不確定要素が多くなった社会だが、それでもまだまだ変化の余地はある。