感動と感心の違い
音楽の楽しみ方には、たくさんの種類がある。
歌を歌うのを楽しむ。
楽器を弾くのを楽しむ。
自分のかっこいい姿を見てもらうのが快感。
仲間内で楽しむ。
お客さんを楽しませるのを楽しむ。
などなど。
私の知り合いの凄腕ミュージシャンが言う。「何十年も同じようなフォークの曲を弾いて進歩がない人がたくさんいる」と。
私は凄腕ミュージシャンのライブも見たことがあるし、同じようなフォークを何十年も弾いている人たちのライブも見たことがある。
はっきり言って、私の目にはどちらも同じに見えるのだ。なぜか?
流行りの歌や、自分の好きなアーティストばかりを聴いている、そこまでガチで音楽が好きなわけではなく、カジュアルな音楽ファンが両方のライブを見に行ったと仮定しよう。
何十年も進歩のない人たちの特徴
進歩のない人たちとは、音楽そのものが好きなのではなく、音楽をしている自分が好きか、もしくは同じレベルの人たちで固まっている連中、もしくはその両方である。
とはいえ、カジュアルな音楽ファンからすればギターの生音を聴くのは初めてだろうし、世代が同じなら知っている曲もあるだろうから2,3曲は楽しめるだろう。
しかし、進歩がない人たちはお客さんを楽しませる術も知らないのですぐに飽きられる。
凄腕ミュージシャンのライブ
ここではっきりさせたいのが、凄腕ミュージシャンだからといって、お客さんを楽しませることができるとは限らない。特にジャズをやるような人は腕前はいいが、お客さんを置いてけぼりにするような人も多い。
そういう人たちのライブをカジュアルな音楽ファンが見たらどう思うか。すごい!と思うだろう。なんせ腕がいいからだ。しかし、やはり2,3曲で飽きる。なぜか?
凄腕ミュージシャンも、腕のいいもの同士でセッションをするのが楽しい、つまり進歩のない連中と同じで、自分たちが楽しいだけ。
演奏技術の違いがあるだけで、自分が楽しんでるだけでお客の事は考えていない部分は同じなのだ。
加えて、ジャズなどをカジュアルな音楽ファンが聴くとどうなるか。はっきり言って、聴き分けが付かない。
2,3曲以上聴くと、どれも同じに聴こえる。さらに、日本人は知ったかぶりをする人が多いので、難解な曲ばかり聴いていると気後れしてくる。私はジャズをわかってますよ、という顔をし続けるのはわりと骨が折れる。
私も音楽は好きな方だが、わりとポップスよりなので5曲も聴いていられない。一般の人ならなおさらそうだろう。凄腕ミュージシャンの音楽を聴いても、いいなぁ!ではなく、すごいなぁ!で終わる。感動ではなく、感心で終わってしまうのだ。
感動は何度してもいいものだが、感心は2,3回もすれば充分なのだ。