優越感と劣等感をこねくり回してみた
先日、買い物をしていると昔の恋人とすれ違った。
あまりいい別れ方をしなかったからか、どこか後ろめたい気持ちになった。
今の私は、どこからどうみても惨めな男だろう。
仕事も辞め、嫁もなく、彼女もなく、何も具体的な未来予想図について思い描けていない。
すれ違った元恋人に対して後ろめたいのではなく、自分自身に対して後ろめたいのだろう。自分は誰かに比べて、何も成長していない。何も変わっていない。
さらに言うなら、自分の弱さをすれ違った元恋人のせいにさえしようとしていたのだ。
フラレて当然である。
しかし、数学や勝負事ならともかく、恋愛や人生に上も下もない。
あるのは優越感や劣等感である。それらは上下関係のことではない。
では何のために優越感や劣等感があるのか?それはおそらく、サボるためであろう。
優越感があれば、自分は大丈夫だと、悠長にかまえる。
劣等感があれば、自分は何をしても無駄だと、投げやりになる。
優越感と劣等感が上下関係ではないといったのはこういう理由だ。
上にも下にも行こうとせず、真ん中あたりで留まっていようとする怠け心が働くからだ。
しかし一つ気になる点がある。
それは、優越感や劣等感を持つのは、相手にもよって違うということ。
もしその人に対して後ろめたい気持ちがあるなら、優越感や劣等感を持ってしまうが、その人に対して尊敬やあこがれを持っているとするなら、優越感や劣等感は抱かないはずだ。近づきたいとなんとか努力する方法を探すだろう。
それならば、優越感や劣等感を持ってしまうような相手とは、関わらないほうがいい。優越感や劣等感を持ってしまう相手を好きになってしまう場合もあるが、それは愛情ではなく、依存しているだけであろう。
劣等感は、持ちたくて持ってしまうものではない。自分自身だけは、自分の味方でいたいと思うのが生き物として自然な考え方であろう。
しかし、周りの人や環境によって背負わされてしまう、もしくは背負っていると勘違いしてしまう場合もある。(私がそうであったように)
人は自分のことだけは、内側から見ることができる。しかし、それはおそらく本当の自分とはかけ離れたもの、もしくは妄想の中の自分であることが多い。
自分の外側から自分を見る、鏡越しであったり、人からアドバイスをもらったりと、必ずワンクッションおいたほうがいい。その自分の方が、本当の自分に近いはずだ。
あなたのそばにいる人は、あなたのことをありのままに見てくれているだろうか?