ロレックスからアップルウォッチへ
昨今、働き方改革で多様な生き方が登場し、
SNSによってそれらを広く世の中に広める土壌もできつつある。
おそらくこれまでの世の中でも、生きづらさを感じていた人はたくさんいたはず。
しかし、我慢することでしか現状を維持できなかった。
なぜそれが今、広く認知されるようになってきたか?それはやはり情報化によるところが大きいだろう。
情報がなければ、とりあえずより多くの人の好みに合わせていくしかなかった。
しかし、ニッチな需要にも情報があれば対応できる。もちろんそれは莫大な利益を生むことはない。
つまり、大量消費社会が終焉に向かいつつあるということなのだろう。
自分一人、もしくは恋人一人くらいなら、
そのニッチな市場でも食べていける。
一等地に流行りの建築士がデザインした豪邸を建て(視覚の暴力だと訴えられないように弁護士を雇い)、
ゴキブリ並みに黒光りしたベンツを走らせ(前の車をあおり)、
大粒のダイヤモンドをあしらったロレックス(重すぎて肩を痛めるが顔には出さない)
をこれみよがしに光らせる時代は終わりつつある。
それがまやかしの幸せだと大衆は気付きつつあるのだ。
昔は戦う場所があまり多くなかったから、なめられないようにそういったど派手なことをみんながしていたのだろう。
しかし今は戦う場所が多くなってきたし、新たに勝負できる場所を作ったりできる世の中になった。だから見栄をはる必要がなくなったのだ。
そういった見栄の張り合いにキリがない事を悟った人たちは、
都会の喧騒を離れ田舎の山奥に住んだり(Wi-Fiがあればスタバでなくても良いと気付く)、
税金のかかる車は売り払い(Uberを少しでも早く日本で認可させるために働きかけ)、
スポーティなアップルウォッチ(深呼吸を忘れずに)で健康を管理する。
我々世代はこちらのほうがよほど魅力的に見える。コスパがいいほうがかっこよくみえるのだ。
日本はあまりにも急激に発展しすぎた。
そして、技術を生み出した我々人間の方が、その進歩についていけていない。
AIがそのうち人間を追い越すなどというニュースが横行しているが、それは間違いだ。
とっくの昔に我々は置いてけぼりをくらっている。
みながようやく、自分たちがいかに過剰な生活をしているかと気付き始めたのだ。
モノで豊かさを感じる臨界点に日本はきている。これからは手にしたものを捨てていく時代だ。しがらみを捨てることが、もう一段階上の幸せのきっかけであると、私は確信している。