人は朝目覚めるたびに、新しい自分に生まれ変わる
「過去の自分と、現在の自分は違う人間なのか」ということを考えてみたい。
- 過去を振り返る。
- 過去の自分、現在の自分
- 成長と変化の違いとは?
- ストレスの正体とは?
- いいストレス、悪いストレス
- いいストレスを課すためには
- 成長を早くするためには
- まとめ
過去を振り返る
私は最近、おすすめの洋楽アルバムを紹介する記事を書いている。
しかしその中のいくつかは、過去に好きで聴いていたものも含まれる。
過去に結構聴き込んでいたものもあったから、ざっと聴きなおして、ちょっとした情報を付け加えたものを記事にした。
しかし、聴き直した時に少し違和感を感じた。
確かに昔は好きだったはずなのに、今聴いてもあまり心が動いていないように思えたのだ。
いいアルバムなのは間違いないが、あまり書くべきことが浮かばず、記事を書くのに苦労した。
そういったアルバムとは別に、レビューするために今流行りのアルバムを聴いていたら、何枚かはとても素晴らしいものと出会えた。
そういったアルバムのレビューは、どんどん文章がでてくる。
書いていて楽しいのだ。
こういった事実に思い当たったのが、今回の記事を書く動機となった。
過去の自分、現在の自分
昔は好きだったはずなのに、いつの間にか興味のなくなったこと。
それとは逆に、昔は嫌いだったり苦手だったりしたものが、そうでもなくなったり、、、そういった経験は誰しもあるものと思う。
その傾向は年齢を重ねるごとに大きくなっていくのではないか。
その理由はやはり、「人生の経験値」が溜まってくるからではないだろうか。
「人生の経験値」とは、その名の通り、今まで生きてきて経験してきたことだ。
学生生活、社会人生活、家庭環境、恋愛、趣味、サークル活動、ボランティア、、、こういったことがその人の人生に少しずつ影響を与え、それが段々と表面、つまりその人の性格や、興味関心に現れてくる。
人の性格の70%は生まれ持ったものだという記事をどこかで読んだことがある。
それがどこまで信憑性があるものなのかはわからないが、生きていく中で間違いなく人の性格は変わっていくと私は思う。
あれほど好きだった音楽に、そこまでの感動を覚えなくなったのだ。
そして、昔だったらあまり興味が湧かなかっただろうと思うものに興味が湧くようにもなった。
歳を重ねるごとに興味関心が変化していっているという感覚は、なんとなく感じていた。
しかしそのスピードは、どんどん加速していっているように思う。
その理由は、ブログを書き始めたからだ。
成長と変化の違いとは?
変化を感じるようになると、それは自分が成長したことになるのか、と思うようになったが、どうもそういう感じでもない。
ここで1つの疑問が現れる。
成長と変化は違うものなのか?ということだ。
私なりの考えをいえば、
成長というのは、水を入れる容器に例えるなら、その容器が大きいものになるということ。
変化というのは、容量は変わらないが、容器の形や材質が変わった、ということ。
容器が大きくなれば、それだけたくさんの水を入れることができる。
容器の形や材質が変われば、中身の量は変わらなくても、色んな場面に対応できる。
私が思うに、その容器の大きさには限界があって、ある程度のところまでいくと、それ以降は変わらない。
これは「才能」と言い換えても差し支えないだろう。
しかし容器の形や材質を変えることに上限はない。
正確にいうなら、それを変えるのは自分次第、ということ。
これは「努力」と言い換えてみよう。
才能の大きさは、それこそ生まれ持ったものだから、変えようもない。
しかし努力は自分の意思次第で変えることができる。
ストレスの正体とは?
成長したり変化したりするためには経験が必要だ。
経験というのは、今までにしたことがないことをするということ。
自分にとって全く未知の存在と出会った時に、人は変わる。
誰しも自分の人生の価値観が変わった瞬間がいくつかはあるだろう。
ないにしても、生きていく間に、知らず知らずのうちに影響を受けているものはあるはず。
経験とは、「ストレス」と言い換えてもいいかもしれない。
ストレスと聞くと、人は嫌なイメージを持つが、実際にはストレスがなければ人は成長しない。
ストレスとはすなわち、負荷である。
バネを手で押さえ込んで離せば、反発して飛んでいく。
つまり負荷がなければ、何も反応しない。
あまりにもバネに負荷を掛け過ぎると、反発する前に壊れてしまうように、あまりに強い負荷は厳禁だ。
そこまで負荷をかけるのは問題外だが、成長のためにはある程度の負荷は必要なのである。
ストレスというのは、未知のものに出会った時にかかるものだ。
実際に、結婚して子供も生まれ、間違いなく本人は幸せを感じているのにうつ病になるというパターンもあるらしい。
ここで注意しないといけないのは、良い変化でも人はストレスを感じる、ということだ。
いいストレス、悪いストレス
ストレスには二種類のパターンがある。
・外的要因
・内的要因
外的要因とは、自分以外の人や環境からかかるストレスである。
仕事が大変だったり、人間関係がうまくいかなかったりと、おそらく現代人のほとんどが大なり小なり感じているものだ。
一方の内的要因は、自分で自分にかけるストレス。
ジョギングをしたり、筋トレや毎日自分に課しているトレーニングなど。
いうまでもなく、成長や変化に効果的なのは後者だ。
外的要因のストレスには、百害あって一利なし。
ただ心身ともにすり減るだけで、得るものは何もない。
成長や変化のために効果的なのは内的要因のストレスだが、これもバランスを取るのが難しい。
たとえそれがいいものであるとわかっていても、ストレスはストレスなので、健康のために走ろうとしても続かなかったり、筋トレもいつの間にかしなくなったりする。
よほど強い意志の人を除き、何か具体的な目標がない限り続けることは困難であるだろう。
いいストレスを課すためには
すでに何か夢中になれるものを見つけている人はいいが、そういう人ばかりではないだろう。
何も見つかっていない人はどうすればいいか?
それは、とにかく何にでも手を出してみる、ということだ。
そして失敗をたくさんするということ。
社会に出たらとりあえず3年は働けとか、失敗することは恥ずかしいことといった、これからの時代にそぐわない常識が、世の中に蔓延している。
しかし最初に入った会社が自分にぴったりという人などどれだけいるだろうか。
失敗することを恐れるあまり、何もできなければ、近い将来必ず後悔する。
今まで失敗せずに生きてこれた人は注意したほうがいい。
その状態である日突然うまくいかなくなると、とたんに落ちるところまで落ちてしまうだろう。
そうなれば立ち直るのに時間がかかってしまう。
成長を早くする
自分で自分に負荷をかけられるようになると、成長の速度は上がる。
しかしここでまた1つ問題が発生する。
たとえ自分のためになるとわかっていても、それだけの理由で続けることはできない。
ジョギングや筋トレをすれば健康になるとみながわかっているのに、実際にしている人は少数だ。
タバコやギャンブルはダメなことだとわかっているけど、やめられない人はたくさんいる。
などなど。
自分のためになるとわかっていても、継続できないパターン。
自分のためにならないとわかっていても、継続していまうパターン
継続するには理由が2つある。
・楽しいから
・選択の余地がないから
もしジョギングや筋トレなどを楽しいと思えているのなら、継続することができるだろう。
勉強や練習などを楽しいと思えているのなら、集中して取り組むことができる。
そしてもう一つ、継続してしまう理由がある。
それは、それ続ける以外に選択肢がない、という状況だ。
これはいい場合と悪い場合がある。
いい場合は、自らその状況を作り出す。
いつでも手の届くところに読みたい本を置いておく。
いつでも手の届くところにダンベルを置いておく。
などなど。
悪い場合は、自らの責任により、選択の余地がない状況を作り出してしまった、という場合だ。
きつくて賃金も安いのに、夜中の工事現場でしか働けない。
今の職場を辞めたいが、年齢的にもスキル的にももう雇ってもらえるところがない。
などなど。
まとめ
1.過去を定期的に振り返ることにより、過去の自分と現在の自分の変化に気付くことができる。
・日記を書く、録画、録音など、過去を残す。
2.その変化はいい変化なのか、悪い変化なのかを見極める。
・どちらでもなく、好みが変わっただけという場合もある。
3.いい変化をするために継続すべきことを考える。
・楽しいと思えることを探す。
・フットワークを軽くするために、失敗に慣れる。
4.継続せざるを得ないような状況に自分をもっていく。
・根性で継続しようとしない。
5.1に戻る。
これを繰り返すことにより人は成長することができる。