Story of my life

日常に転がる疑問を掘り下げるだけ掘り下げて放置

Have a cigar

 私は基本的にはそこまで悩んだりしない方なのだが、唯一の悩みがある。それはタバコをやめられないことだ。


 1日に吸うのは5本くらいだろうか。それ以上吸いたいのだが、体が拒否している感じがする。明らかに体質に合ってないのだ。

 


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 やめたい気持ちはかなりあるのだが、ストレスが溜まったり興奮状態になると吸いたくなる。吸いたいから吸っても、そこまでおいしいと感じないどころか気持ちが悪くなって後悔する。これを何年も繰り返している。


 やめたい気持ちがあるのにやめられないのは何かメリットがあるからだ。それを考えてみるといくつかあった。


 タバコを吸う人同士はどこか仲間意識が芽生える。喫煙所などにいくと誰かしらいるし、そこから仲良くなることもある。そして時代遅れな考え方かもしれないが、どこかタバコはカッコいいというイメージがある。大人の嗜みというか、社会の枠におさまらないぜ、的なアストロー感に酔いしれることができる。


 しかしタバコ=オトナというのはどう考えてもおかしい。タバコを吸えば必ずどこかしら体が悪くなる。少しづつダメージが蓄積される。目先の快感に目を奪われて未来のことから目をそらすのがオトナだろうか?


 社会の枠からはみ出たイメージというのもおかしい。タバコの料金のほとんどは税金だ。我々喫煙者は非喫煙者より多くの税金を納めている。枠からはみ出ているどころか、政府からいいように搾り取られているのだ。


 吸うほうが我慢するより楽だという考えもおかしい。吸っている場合の方がどう考えても気分が悪くなってつらい。あえて難しい方を選んでいる変わり者こそ喫煙者なのだ。

 


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 アイコスやグローなどといった電子タバコも現れたが、これもさらに事態をややこしくする。右足が痛いから左足をナイフで刺しているようなものだ。問題を別の問題でごまかしているだけで、何一つ解決してはいないどころか実質的に問題が増えている。実際、電子タバコは物足りないないから普通のタバコと併用しているという人も少なくない。ストレスが溜まるからタバコを吸うというのも同じ原理だ。日頃の悩み事を禁煙したいなぁという悩みでごまかしているだけ。


 なぜやめられないのかという考え方ではなく、なぜ吸いたいのかという考え方にこそ活路があるはず。でなければ喫煙者はとっくの昔に絶滅しているだろうからだ。


 悩みやつらさを乗り越えた先に何があるのか、ということを考えるのが恐ろしいから我々はタバコを吸う。明るい未来を想像できない。しかし悩みやつらさが長きに渡って自分を苦しめてきたことは、少なくとも今の段階ではなかった気がする。なのにあえて明るい未来を想像せずに、タバコを吸う言い訳へと変えている。


 百害あって一利なしというが、それで吸うほど人間は愚かではない。利益があるから吸っている。タバコさえ吸ってなければなーと、自分の弱さを押し付ける対象が欲しいのだ。


 やめたらどんなに素晴らしい生活が待っているかという事を思い描けない、想像力の乏しい人間が吸う傾向にあるのだろう。

 


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 なぜタバコをやめるのが怖いと感じるのか?タバコを吸うことによって将来肺がんになったり、火の不始末で火事になる方が何千倍も怖いはずなのに。考えれば考えるほど喫煙とは不思議な行為だ。


 やめると宣言してやめられなかったとき恥ずかしいから?これもおかしい。なぜなら人間はそこまで他人に興味はない。喫煙所に来る人が一人減ったくらいで何も変わらない。他の人と話せばいいだけ。


 タバコとはまさに人間そのもの。矛盾だらけの要素を孕んでいる。