十代の頃の無邪気さはどこへ?
夕方から趣味のバンド活動で、メンバーとスタジオへ。
めっちゃ楽しかった。すごい久しぶりに楽しさを感じた。
若い頃は無条件で何でも楽しかった気がする。
ゲームが好きな少年だったが、意味や理由など考えたことはなく、ひたすら夢中でやっていた。
しかしいつの頃からか、
ゲームをやって何になるのか?
後に何か残るのか?
という考え方に変わってしまい、それ以降、段々とゲームから遠ざかってしまった。
今ではほとんどゲームはやらない。
しかし今、改めて少年の頃を振り返ってみると、ゲームをやっていた頃が不思議と無駄だとは思えない。
確かに何も残らないが、夢中にやっていたというやりごたえというか手応えは覚えている。
だから、あんなことしなければよかったな、とは思えないのだ。
年を取るにつれて、意味ばかり考えるようになってしまった。
楽しむからやるというより、意味があるからやっているだけ、という動機でしか行動できなくなってきた気がする。
何か見返りがあるからこそ頑張れるといえば聞こえはいいが、これは理にかなっているようでかなってない。
というのも、意味や見返りがなくなれば行動する理由はなくなる。
はっきり言って、この程度の動機では、人は簡単に折れたり、信念を曲げてしまう。
少年時代を終え、大人になった今こそ、何の理由もなく夢中になれる事が必要なのだ。
生きがいややりがいに理由や意味を求めるのは、全くの的外れである。
人間はそんなに単純な生き物ではない。
自分自身を騙すことなど、できはしないのだ。