毒リンゴもない、猛獣もいない世界で…
人間は知ることに対して、快感を覚える生き物です。
情報化社会になったのがその証拠、知りたいという欲求があるからそんな世の中になっていったのです。
それはなぜか、私のただの推測に過ぎませんが、かつて我々の祖先が狩猟採集生活をしていた頃、どこを通れば危なくないか、どの木の実には毒がないかなどを知っておかないと、死に直結していた。
だから知ることに対して貪欲な人間でなければ、生き残ることができなかった。
それが繰り返されて、知ることに快感を覚える習性がついていったのだと思います。
しかし周りを見渡してみてください、少なくとも日本では、そのへんで毒を口にすることもないし、どの道に猛獣がいるかなんて考えなくてもほぼ大丈夫。というか完全に大丈夫。
つまりもう我々はとっくの昔に、なんでもかんでも知る必要なんてなくなっているのです。
危険が減っているのに、情報は増えているという完全に矛盾した世界になってきています。
くだらない情報が増えすぎて、それを選別することさえ不可能になってきたので、積極的に遮断していくほうが間違いなく賢い選択と言えます。
これはこういうことだ、どこでどういうことがあった、誰がどういうことをした、全てどうでもいい話です。
その情報を少し離れたところから眺めてみてください、あなたには一切関係のないことだとすぐにわかるはずです。
こういった習慣の何が最悪って、ちょっとかじっただけで知った気になってしまうということ。
つまり情報を検索すればするほど、あなたの自尊心は肥大化してしまうのです。
しかし先程言った通り、そもそもその情報には何の意味も価値もありません。
ここで一つ厳しいことを言わせてもらいます。
「自惚れないでください、あなたは実際には何一つ学んでなどいないのです。」
検索することとはつまり、問題も読まずに答えを見る行為にすぎないのです。
知ろうとすることは、立派な依存症です。
我々は知らないことがあると片っ端からググって、数時間後には検索したことさえ忘れている。
それが異常なことだと気付くべきなのです。
何か重要なことに思えること、英単語の意味や熟語の成り立ち、調べて偉くなった気になるけど、あなたはそれをいくつ覚えていますか?
知りたい欲求を遠ざけましょう。
重要な気がするのは、そんなふうにメディアが着飾っているからです。
馬子にも衣装とはまさにこのことでしょう。
検索したくなるのは、ただの依存症だと自覚すること。
一瞬偉くなった気になるけど、それはすぐに忘れるもの。
その事実を念頭において、これからくだらないニュースや情報、シャットアウトしていきましょう。