Story of my life

日常に転がる疑問を掘り下げるだけ掘り下げて放置

SNSで個人的過ぎる投稿をする人

世の中変わったなぁと思うことがあった。Facebookで身内が亡くなった事を投稿している人がいるのだ。しかもデジタル世代ではない50代や60代の人。


20代や30代の人がするならまだわかるが、まさかの中年の人が!


正直言って対応に困る。かなしいねボタンはあるが、人が亡くなったのをそれですませるのもどうかと思うし、コメントするにも文字だとうまく気持ちが伝わらない場合もある。

 

 

 


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他にも私が見たことのあるおかしな投稿がある。ある知り合い女性があまりうまくいっていない彼氏に向けて

 

 

 

 


「愛していないのになぜ抱くの?」

 

 

 

 


という投稿をしていたのだ。

 

 

 

 


「我々は見たくもないのに、なぜ直接メールしないの?」

という感想を抱いたのは私だけではないはずだ。

 

 

 

 


その彼氏のことも皆知っているので気まずくなった人は数知れず。我々の周りから彼女が消え去ったのは当然の成り行きであろう。

 

 


SNSで個人的過ぎる投稿をする理由


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あらゆる人が見ることができるSNSで個人的過ぎる投稿をする人がいるのはなぜだろうか?

 

 

 

 


かまってほしいから?

 

 


不幸自慢したいから?

 

 


自分が有名人だと思っているから?

 

 


直接言う勇気がないから?

 

 


本当の友達がいないから?

 


どれだけ考えても前向きな理由は思いつかない。

 

 

 


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可愛かったり美人だったりする人が、SNSで変な人に絡まれて困っている、みたいな事を聞いたことがある。

 

本当に困っているようだった。しかし、その人のSNSを見てみると…

 

 

 


いやっっっ!バリバリカメラ目線で自撮りしてる写真投稿してるやんっっ!!!

 


ひどい時にはちょっとしたセクシーショットさえあるやんっっっ!!!

 


これじゃ欲求不満のエロオヤジたちに撒き餌をしてるようなもんやんっっっ!

 


バカなの?ていうかバカなの??

 


それとも地面に砂糖を撒いて、群がってきたアリを踏み潰すのが快感、みたいなサイコパスなの???

 

 


常人の私には全くもって意味不明。

 

 


SNSで幼い頃生き別れた親に会うことができた、といった使い方もできるし、エロオヤジ収集装置としても使える。

 

 


SNSをうまく使えるか否か、それはあなた次第です!

誰も見ることのないグラフ

あらゆる会社の壁という壁に貼られている、何かしらのグラフ。

 


売上目標


良品率


不具合の数


その他もろもろの数字

 


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何か重要な数字ではあるのだろうが、果たして誰か見ているのだろうか?

 

 

 

 


少なくとも私は壁に貼られているグラフの前で立ち止まり、熱心に見ている人を見たことがない。なぜなら、そんなグラフを見ている暇があれば仕事をしろ!と上司にどやされかねないからだ。

 

 

 

 


〇〇の壁にグラフを貼ってあるから、各々見ておくように〜との業務連絡があるが、一体どのタイミングで見ればいいのか?仕事中は仕事をしなければならない。休み時間は休憩しなくてはならない。ではあのグラフの意味は?

 

 

 

 


第一、見たところでどんな意味のない数字が、都合のいいように解釈されているかわかったものではない。一体どうすれば世の会社の壁に貼られてあるグラフは人々に読んでもらえるのか?バンクシーの書いた絵の隣にでも貼っておけばいいのだろうか。

 

 


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上司が心をこめて作ったグラフの末路は、何かの走り書きの裏紙になっている。スーパーのチラシと同等だ。しかも、何時間もかかって作られた、単価で言うなら何千円も価値のあるグラフ。

 

もし世の中の全ての会社の壁に貼られているグラフを作った単価を足せば、バンクシーの絵が何枚買えるだろう。

 

いつか世の中のグラフが、ちゃんとグラフとして価値を発揮することを願う。

帰ってきたヒトラー 上・下(全2巻)

あらすじ


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第二次世界大戦時、世界を恐怖に陥れたドイツの独裁者ヒトラーが、もしも現代に蘇ったら?というコンセプトのブラックユーモア。


あまりにも際どいジョークの数々に、不謹慎と思いつつも笑いを堪えきれなくなってしまう。


そう思ってしまうことが、まさにヒトラーの恐ろしいところ。華麗な話術で民衆を束ね、熱狂の渦に巻き込む。


最初はヒトラーを笑っていたはずだが、最後にはヒトラーと一緒に笑っているあなたがいるだろう…


もしもの話


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ヒトラーと聞けば、世界大戦時に多くのユダヤ人を死に追いやった、極悪非道の独裁者というイメージだろう。イメージというか、まさにそのとおりの事をしたのだが。


本国ドイツでは、未だに公の場でヒトラーの名前を出すことさえはばかられるという。


しかしそのドイツから「もしもヒトラーが現代に蘇ったら」というコンセプトの小説が出ようとは誰も夢にも思うまい。これほどのブラックジョークもないだろう。


しかし人は禁止されればされるほどやってみたくなる衝動に駆られるように、この禁断ともいえるようなテーマの小説を読んでみたいと思うのは、人としての性であろう。


私は常日頃から、平和という事実に疑問を持っている。それが転じて戦争の事実に関しての興味にもなっている。


それゆえにこの小説を読むこととなった。


際どいというか、ぎりぎりアウトになりかねないほどのブラックユーモアがてんこ盛りのこの小説。


時は第二次世界大戦。その頃のベルリンの風景といえば、瓦礫の山、塹壕、鳴り響く警報…


そのような光景が当たり前の時代に生きたヒトラーは、2011年のあるうららかな日に、ベルリンの小さな路地に目覚めた…というところから話は始まる。興味のある方はぜひ読んでみてほしい。


まとめ


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かなりの人種差別的なフレーズや物騒な発言もあり、このような小説を出版するとは、なかなか勇気のいることだっただろう。


第二次世界大戦が終わってからもう70年以上たった。戦争を体験した人々も少なくなり、記憶から失われつつある。


いくら「戦争はダメな事だ、絶対にしてはならない」といったところで、経験したことのない人たちには本当の意味では伝えられない。


かといって、当時の映像を生々しく放送したりするのも難しい。膨大な量の資料を読むのもハードルが高い。


それなら一体どうすれば人々は戦争という事実と向き合おうと思えるのか?それこそが「笑い」ではないか。


もちろん、戦争と笑いとはもちろん相反するものだ。しかし無理矢理フタをしてなかったことにすることもできない、真正面から向き合うのも恐ろしい。ならば発想を変えて、戦争を身近なものに感じられるブラックユーモアにしてしまえばいい。


本書はブラックユーモアではあるが、ヒトラーという人物に興味を抱くには素晴らしくとっつきやすい。


それを土台に人々が自分から戦争の事実を知ろうとし、自分の意見というものをそれぞれが持てば、それが平和への一歩になりうると確信している。

家を建てる時に考えるべきは、隣人


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人は家を建てる時に何を考えるか。

 

 

 

家族のこと


間取り


ローン


立地条件


友だちから羨ましがられるか


などなど

 

 

 


しかし私が思うに、家を建てる時に何よりも考えなければいけないのは、隣人の事ではないか。

 

 


いくら素晴らしい家を建てたとしても、隣にいる人々が常識外れだとしたら?その家の価値は下がるだろう。

 

 

 

常識とは多数決


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私の家の隣人たちは、公共のものである道路に食パンをばらまき、野生の鳥や猫に与えて騒音被害が出ている。

 

 

 

 


その事実も恐ろしいが、さらに恐ろしいのは、私の家族以外、多くの家がそうした行為をしているということだ。

 

 

 

 


つまり私の家族の方が少数派なのだ。我が家の近くでは、野生の動物にエサをあげないほうが常識外れということになる。

 

 

世界情勢と隣人関係


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この事実は今日の外交関係に似ている。

 

 

 

 


言うまでもなく韓国は過去の事件を引っ張りだして、日本から少しでも多くの金をもぎ取ろうとする。それも何度も。これからもずっと。

 

 

 

 


誰の目から見ても、ようするに他の国から見てもこれはおかしいと思うだろうが、一つ大事な事実がある。

 

 

 

 

 

それは日本の同盟国であるアメリカも、オーストラリアも、欧州諸国も、仲はいいがとても隣人とは言い難いほど地理的に離れているということだ。

 

 

 

 


彼らの目から見ても韓国はおかしな主張をしていると思うだろう。しかし、地理的にあまりに遠すぎるのでどこか他人事にしか思えないのだ。

 

 

 

 


それならば日本の他の隣人はどうか?

 

 

 

 


北朝鮮


中国


ロシア

 

 

 

 


そう、これらの国はどれだけ控えめに言ったとしてもまともな国ではない。むしろ韓国の方がまだ優しいくらいだ。

 

 

 


ご理解いただけただろうか。

 

 

 

 


日本という良識のある国からすれば、韓国の行いはどう考えても子どもが駄々をこねているようにしか見えない。

 

 

 

 


しかし北朝鮮、中国、ロシアからすればむしろ生ぬるいくらいだ。だから韓国のくだらない言いがかりがまかり通っているのだ。

 

 

 

 


他の隣人の方が遥かにイカれている…つまり私のご近所関係とほぼ同じ。一般常識から外れているのは向こうのほうだが、同じか、さらに常識を外れている隣人がいる。

 

 

 


仲のいい友だちはいるが、遥か遠くにいる…同情はされど手助けはしてくれない。

 

 

 


家を建てる時、人は夢を注ぎ込む。しかし本当に考えなければいけないのは建てた後、隣にいる別の誰かなのだ。

 

 

 

 


その人が常識外れだと思ったとしても、その反対側の隣人も常識外れ、向かいの人も常識外れだとしたら?

 

 

 

 


あなたは隣人から常識外れと指をさされるだろう。

 

 

 

 


⚠私は家を建てたことはありません。

インスタ大喜利 その35  「橋本環奈」

橋本環奈✕マネージャー

女優、橋本環奈さんの公式インスタグラム、といっても本人ではなくマネージャーが更新しているのだが、今回は本人の投稿!

 

ドアップの橋本環奈さんと、後ろにひょっこりとマネージャーさんの映る写真だ。

 

橋本環奈さんの魅力は星の数ほどあるが、中でも色素の薄い瞳が印象的であろう。

 

その透明感にノックアウトされたのは私だけではあるまい。

 

それではさっそくいってみましょう!

 


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「博多のじいじです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


どこのジジイだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「見たとき息吸えなかった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


それほどの美しさ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「透明感の化物」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


キャッチコピーとしては、3点

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「いつ船橋でご飯食べる?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


行けたら行くわ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「あの。。。天使ですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


その可能性は否定できない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「目食べたい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


こわっ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「院長、定期回診希望します♫」

 

 

 

 

 

 

 

 

 


どんなプレイだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「メメメメメメメメメメ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


それだけ目が印象的だったんだね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「ぴゃああああああぁぁぁああぁぁ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


落ち着けw

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まとめ


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いいかがだったでしょうか。

 

あまりの透明感に取り乱すファンは数知れず!

 

たまにでいいから本人の投稿する文章も読んでみたいものだ。

 

ではまた次回をお楽しみに!

 

 

こちらもおすすめ!

 

なぜおばあさんは柄物に柄物を合わせるのか?

道行くおばあさんたちを見ると奇妙な共通点がある。

 

 

 

 


それは、おばあさんたちの洋服は、柄物に柄物を合わせているという事だ。

 

 


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目が回りそうなぐるぐる模様の書かれた上着(茶色が多い)に、またもや魔性のものが戯れに描くアラベスクのような模様のズボン(やはり茶色が多い)というコーディネート。

 

 

 


意味がわからない。

 

 

 


全く持って意味がわからない。

 

 

 


冒頭に書いたように、このようなコーディネートのおばあさんは一人や二人ではなく、たくさんいるのだ。つまりこれは偶然の一致ではなく、何か見えない力にでも導かれるように、そういう傾向があると考えたほうが自然であろう。

 

 

 


可能性をいくつか考えてみよう。

 

 

 

 


1.目が悪いから


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言うまでもなくおばあさんたちは目が悪い。特に近くのものがよく見えなくなっているようだ。


つまり、目のいい人たちにはぐるぐる模様に見えるが、おばあさんたちにとってはもしかするとただの茶色い上着にしか見えていないのでは?という説。

 

 

 

 


2.お金がないから


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若い頃によほど稼いでいた人でもない限り、おばあさんたちは年金暮らしでそこまでいい生活はできていないのだろう。


するとそこに奇妙なぐるぐる模様の服がある。ブティック側からすれば、奇妙な模様の上着は売れ残る事が多いだろうから、セールの棚へ追いやられる可能性が高い。


そこに目の悪いおばあさんがやってくると、「あら、安いし地味な上着じゃない。買うわ」となる。

 

 

 

 


3.デザインより機能


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歳を取ってくると見た目がいい、流行りのものがいい、といった概念はどんどんなくなってくる。


若い女子は白いフリフリのついた可愛い服を着たがるものだ。デザインはいいが、その服を着たままミートソースパスタを食べれるだろうか?焼き肉やBBQに行くだろうか?


否、少しでもタレが跳ねれば一瞬でアウトになるだろう。


しかし茶色い、ぐるぐる模様の上着ならどうか?そこに焼肉のたれがかかったとしても、誰が気付くだろう?おそらく本人さえ気付くまい。

 

 

 

 


まとめ


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いかがだったでしょうか。

 

 


あまりにも奇妙な柄物の服に、さらに柄物を合わせたおばあさんが多いので、私なりにその法則を解き明かしてみた。

 

 


何か他に意見がある人はぜひコメントにて教えてもらいたい。

感動と感心の違い

音楽の楽しみ方には、たくさんの種類がある。

 


歌を歌うのを楽しむ。


楽器を弾くのを楽しむ。


自分のかっこいい姿を見てもらうのが快感。


仲間内で楽しむ。


お客さんを楽しませるのを楽しむ。


などなど。

 

 

 

 


私の知り合いの凄腕ミュージシャンが言う。「何十年も同じようなフォークの曲を弾いて進歩がない人がたくさんいる」と。

 

 

 


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私は凄腕ミュージシャンのライブも見たことがあるし、同じようなフォークを何十年も弾いている人たちのライブも見たことがある。

 

 

 

 

 


はっきり言って、私の目にはどちらも同じに見えるのだ。なぜか?

 

 

 

 

 


流行りの歌や、自分の好きなアーティストばかりを聴いている、そこまでガチで音楽が好きなわけではなく、カジュアルな音楽ファンが両方のライブを見に行ったと仮定しよう。

 


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何十年も進歩のない人たちの特徴

 

 


進歩のない人たちとは、音楽そのものが好きなのではなく、音楽をしている自分が好きか、もしくは同じレベルの人たちで固まっている連中、もしくはその両方である。

 

 

 

 


とはいえ、カジュアルな音楽ファンからすればギターの生音を聴くのは初めてだろうし、世代が同じなら知っている曲もあるだろうから2,3曲は楽しめるだろう。

 

 

 

 


しかし、進歩がない人たちはお客さんを楽しませる術も知らないのですぐに飽きられる。

 

 


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凄腕ミュージシャンのライブ

 

 

 

 


ここではっきりさせたいのが、凄腕ミュージシャンだからといって、お客さんを楽しませることができるとは限らない。特にジャズをやるような人は腕前はいいが、お客さんを置いてけぼりにするような人も多い。

 

 

 

 


そういう人たちのライブをカジュアルな音楽ファンが見たらどう思うか。すごい!と思うだろう。なんせ腕がいいからだ。しかし、やはり2,3曲で飽きる。なぜか?

 

 

 

 


凄腕ミュージシャンも、腕のいいもの同士でセッションをするのが楽しい、つまり進歩のない連中と同じで、自分たちが楽しいだけ。

 

 

 

 


演奏技術の違いがあるだけで、自分が楽しんでるだけでお客の事は考えていない部分は同じなのだ。

 

 

 

 


加えて、ジャズなどをカジュアルな音楽ファンが聴くとどうなるか。はっきり言って、聴き分けが付かない。

 

 


2,3曲以上聴くと、どれも同じに聴こえる。さらに、日本人は知ったかぶりをする人が多いので、難解な曲ばかり聴いていると気後れしてくる。私はジャズをわかってますよ、という顔をし続けるのはわりと骨が折れる。

 

 


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私も音楽は好きな方だが、わりとポップスよりなので5曲も聴いていられない。一般の人ならなおさらそうだろう。凄腕ミュージシャンの音楽を聴いても、いいなぁ!ではなく、すごいなぁ!で終わる。感動ではなく、感心で終わってしまうのだ。

 

 

 

 


感動は何度してもいいものだが、感心は2,3回もすれば充分なのだ。