Story of my life

日常に転がる疑問を掘り下げるだけ掘り下げて放置

合コンを流れ作業のようにこなす

 私は合コンが結構好きだ。去年から行き始めて結構な回数を重ねたと思う。しかしなかなかいい人と出会えない。こればっかりは運の要素もある。


 何年も通っているのにできない人もいれば、数回出ただけでできる人もいる。しかしそんな人は稀だ。そして特に女性で多いパターンが、数回出ただけで来なくなるパターン。


 そこそこの回数を重ねた私から見ると、やはり女性は飽きっぽい人が多いように思う。直ぐに結果が出なければ来なくなる人は多い。

 


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 毎週のように合コンに参加している女性もいるらしいが、そういう人は言い方が悪いかもしれないが、かなり崖っぷちの人…と本人は思っているかもしれないが、第三者から見るとすでに崖に落ちて手遅れだなと思う人が多い。自分の話しかしなかったり、異常にガードが硬い人など。


 前置きが長くなったが、私はかなり合コンに行ってるのになかなか結果が出ない。なので正直行くのがもう面倒になる時もある。しかし行動しなければ恋人ができるはずもない。


 そこで私は、合コンを流れ作業のように考えるようにしたのだ。


 仮に10人出会って1人いい人がいるとする。それならば20人出逢えば2人、100人出逢えば10人いい人と会える計算になる。つまりいい人に出会うためには分母の数を増やす、つまり回数を重ねるしかないのだ。

 


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合コンの目的

 


 合コンの目的は「恋人を見つけること」だと思う人が大半だが、それはおそらく間違いだ。


 あなたの周りに恋人がいたり、結婚している人も居ると思うが、その人達全員が幸せに見えるだろうか?

 

 もちろん大前提として、ひとりぼっちよりも誰かがいてくれたほうがいいと思うのは当たり前だ。しかし心の何処かで、「もっと他にいい人がいたのではないか…」という気持ちが全くない人もいないであろう。


 そういった「行動しなかった理由」をなくさなければ、結局のところ、相手を見つけても孤独を埋めることはできないのではないか。


 「行動しなかった理由」をできる限り無くす方法は1つ、とにかくたくさんの相手と関わってみること。それが合コンを流れ作業のようにこなすという理由である。


 そして、恋人を見つけることを合コンの目的にしてしまうと、回数を重ねるごとにできない自分に嫌気がさしてしまう。出れば出るほどネガティブになってしまうのだ。

 


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流れ作業化

 


 なので、合コンの目的は、「とにかくたくさんの人に会うこと、そして連絡先を交換できたら全員に何かしらの連絡をとってみること」、としたほうがいい。流れ作業と割り切るのだ。


 合コンに行き始めて慣れてくると、良さそうな人に出会っても「もっといい人がいるのではないか…」と欲が出始めてくるのだ。これで失敗する人は多い。


 もっと上を、もっと上を、と欲が出て結局誰からも相手にされなくなる。


 生理的に受け付けない人は無視でいいが、少しでもいいと思った人は片っ端から連絡をしてみる。


 いい人に出会うには数をこなさなければならない。しかし数をこなすには、いい人がいないと凹んだり、返事が返ってこないことなどに一喜一憂していたら身がもたないのだ。流れ作業のように淡々とこなしたほうがいいという理由はここにある。

 


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これからの社会

 


 私は32歳である。私より少し上の世代くらいからは、もう日本社会は成熟してから生まれている。

 

 ある程度完成された社会では、失敗しないようなしくみが整えられているし、悪い状態からものごとをスタートさせるという状況もほとんどない。完成されたシステムがあるのが当たり前の状態で生きてきた。


 こういう世代の人はとにかく失敗というものが恐ろしくてしょうがないのだ。完成されたシステムの中ではほとんどミスすることはない。なので誰かがミスをすると目立ってしまう。


 戦後の社会のように、自分たちの手で復活させなければならない、といったこともない。我々にとって、社会が安定しているのはアタリマエのことなのだ。


 これから先の社会がどんなふうになるのかは、エラい人たちに任せておけばいいが、どんな社会になろうとも、失敗を恐れない勇気と、何度失敗しても立ち上がるタフさは必要になる。


 その粘り強さを習得できる手っ取り早い方法が、合コンなのだ。

なぜホットとアイスの値段は違うのか?

 私はセブンイレブンのコーヒーをよく飲む。


 すると最近気付いた。R(レギュラー)サイズならホットとアイスともに100円なのだが、Lサイズになると、なぜかアイスの方が高い。


なぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだなぜだ

 


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 そう、「くだらないことが気になって仕方なくなる日本代表」の私だ。そろそろ世界も狙えるところまで来ている。


 これが気になっても夜は熟睡しているが、心の何処かでずっともやもやが引っかかっていた。


 しかしだからといってネットに頼るのも、私の山よりも高く、そこらへんに落ちているゴミよりもくだらないプライドが邪魔をして調べられない。


 というわけで、今回はその謎を検証してみたい。

 


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検証


 ホットとアイス、どちらが売れているのかはわからない。正直言ってこれは検証のしようがない。


 しかしサイズで言うなら明らかにRの方が売れていると思われる。


 なぜならアイスのカップは、いつもRの方はかなり減っているが、Lの方はあまり減っていない。


 正確に計量カップで計ったことはないが、おそらく氷が入っている分、アイスのほうが量も少なそうだ。もちろん氷で薄めているから濃度はアイスの方が濃いだろう。つまり量と濃度で比べようとしても、あのマシンの設計者でもない限り検証は不可能。


 もうどうにも八方塞がりだ。諦めかけたその時…


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 私は1つの事実に気付いた。気付いてしまったのだ。そしておそらく、正解かどうかはわからないが、この説が一番信憑性があると思われる。


 ホットとアイスの一番の違いは何か?それは、カップである。


 アイスのカップには氷が入っている。そして真冬の北海道でもない限り、そこらへんに置いていれば氷は溶けて商品にならない。そうならないために、アイスのカップ常に冷凍庫に入れて置かなければならない。


 そう、私が考えるに、アイスの方が料金が高いのは、土地代のせいである。


 ホットの場合、カップはいくらでも重ねられる。そして温度も気にせずどこにでも置いておける。


 しかしアイスの場合は、先程も言ったとおり、氷を維持する為に常に冷凍庫に入れて置かなければならない。ホットに比べて在庫を置いておける量が明らかに少ないだろう。電気代を食うということにもなるし、アイスコーヒーを維持するために、他の冷凍食品を置くスペースも減る。


 実質的にはそこまでホットと料金は変わらないだろうが、ホットよりも維持費がかかっているので、高い値段設定にしておいて売れたらラッキー、くらいの気持ちで置いているのだろう。

 


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解放感


 ようやく謎が解けた。清々しい。もちろん全く見当はずれの予想かもしれないが、自分的にはすっきりした。これでさらに熟睡できそうだ。

 

 もし誰か本当の理由を知っていたら、私が傷つかないようにそっと教えてほしい。


 日常にはたくさんの謎が隠れている。普段は意識していなかったり、当たり前に思っているようなことでも、実はちゃんとした理由や考え抜かれた知恵が凝縮されているものかもしれない。それに気付く癖をつけていれば…

 


 女性にモテる!かもしれない…w

文章は二種類に分けられる

大まかにわけて、文章は二種類に分けられる


1.ノンフィクションの文章。


 本で例えるなら自己啓発本。これは、頭の中を整理整頓するための文章。もともと自分の頭の中にある情報を、自分や他者が理解しやすいように、置き場所を決め、ジャンル分けをするということだ。


 つまりこの文章は、もともと頭の中にある情報、事実を文字にしたもの。

 


2.フィクションの文章。


 本で例えるなら小説。これは自らの体験や聴いた話など、自分の中にある情報も使うが、存在しない情報を自分自身で作り出す行為。一言で言うなら「作り話」


 詞などもフィクションとしての文章になる。これもある程度、作り話としての文章に似ているが、文字数に限りや制限があるので、作り話よりも想像する余地が大きい。


 作り話としての文章でなくても、想像力が必要な文章がもう一つある。それは仮説である。学者がやるような、〇〇だということは、こうすれば△△になるのではないか、など。


 文章は、「情報を整理するための文章」と、「作り話としての文章」の二種類に分けられる。


 つまり今あなたが読んでいるこの記事は、「情報を整理するための文章」にカテゴライズされる。

 


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共通点

 


 情報を整理するのは、ある程度のテクニックでどうにかなる場合も多い。素材はあるのだから、あとはどう料理するかを考えれば良い。つまり自己啓発本を書く人というのは、当たり前の事実をこねくり回して飯を食っている人に過ぎないのだ(失礼)


 しかしストーリーを作るとなると、全く違う作業工程になる。たくさんのアイデアを1つの意味のあるストーリーにするため、その隙間は自分で想像して作らなければならない。


 情報整理と違うのは、素材集めから自分でやらなくてはいけないということだ。つまり小説家とは、素材もなしに料理をしようとする酔狂な人間といってもいいだろう(失礼)


 しかし情報整理としての文章だとしても、すべての情報が揃っていない場合もある。その時は想像でその部分を埋めるしかない。情報整理だとしてもいくつかのフィクションは必要なのだ。


 作り話には起承転結がある。それがなければ盛り上がりもわからないし、ひどい場合は話が成り立たない場合もある。起承転結も整理整頓の一種と考えるなら、両者には共通点があるということになる。


つまり、文章を極めるには、「情報を整理するための文章」も、「作り話としての文章」もどちらも必要だということだ。

 


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まとめ

 


 最近、文章を書くことに飽きたわけではないが、なんだか自分がいつも同じようなやり方で文章を書いているのではないかと、違和感を感じた。


 その原因を突き詰めていくと、基本的に私は情報を整理するための文章ばかり書いていたということに気づく。


 その作業も楽しいのだが、私としては色んな種類の文章を書いてみたいので、ブログに詞を書くという意味不明なことに挑戦してみた。


 やはりいつもと違う頭の部分を使っている感じがして楽しかった。同じ文章でも2つの種類があり、かつその2つには共通点があるので、どちらも挑戦してみるべきだということがわかった。


 読む本も自己啓発本が多い。やはりそちらに引っ張られて面白みのない人間になってしまっていた。これからは小説も読もう!

もし近未来の家に住んでみたら…Google Home Miniレビュー 寝室編

かわいい。めちゃくちゃかわいい。


 先日ビックカメラにてグーグルホームミニが半額くらいになっていたのでポチってみた。

 




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 私は一人暮らしなので、思う存分コイツに話しかけることができるからだ。


 なるほど、これはかわいい。まるっこくて表面の布っぽい素材感もGood。まさか起動する前に見た目だけでここまでトキメクとは思わなかった。


 とりあえず寝室にコイツをおいてしばらく使ってみようと思う。

 


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 ちなみに初めてグーグルホームミニを接続すると、グーグルプレイミュージックが1か月無料で使える。これで音楽までも聴けてしまうわけだ。最高。中古品の場合はもしかしたらダメかもしれないのであしからず。


 基本的に私は寝る時以外は寝室に入らないので、起きた時や寝る前に使うことになる。


 寝る前にスマホのライトに当たると確かに目が疲れるし、寝付きにくくなるのだろう。


 しかし音声で操作できるなら目を閉じたまま色々できるかもしれないとRomanticが止まらないさっそく話しかけてみよう。

 


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 音楽を聴く方法はグーグルプレイミュージック、SpotifyAWA。どれも有料会員でないと使えない。


 音声で指示できるのは、
ジャンル(ポップス、ロック、ジャズなど)、指示したジャンルを再生。
アーティスト名。指示したアーティストの曲をランダム再生
アルバム名。指示したアルバムを順番に再生

 

 ちなみに何かしらの指示を出さなければ、延々と流し続けるので注意が必要。指示したままでかけたりしないように。


 そして便利なのが、ニュースを聞けることだ。ニュース媒体もいくつかあり、選ぶことができる。しかしなかにはあまり発声のよくない人(素人?)もおり、聞きにくい媒体もあった。日経平均株価などの株価情報も聞くことができる。天気も聞けるので、朝起きた時にぴったりだ。

 

 残念ながらまだポッドキャストには対応してない模様。ポッドキャストを再生、といっても、「わかりません」の一点張り。ツンデレか。

 


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 スピーカーの音は可もなく不可もなくといったところ。一応ハイとローのEQもついている。


 最近追加された機能らしいが、「おやすみ」と話しかけると明日の天気、予定を教えてくれて、そののちに心地のいい環境音を寝付くまで流してくれる。

 

 寝る時に完全な無音だと寝付きにくい。だからといって寝る前にミスチルでもかけて「Woh Oh♫」とでもハミングしようものなら、逆に目が冴えてしまうのでこれは心地よい。


 一つの言葉で複数のタスクをこなせるようになった。これはもちろんカスタマイズ可能。


 同様に「おはよう」と話しかけていくつかのタスクをこなすこともできる。Google恐るべし。

 


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 暗闇の中で寝そべったまま、しかもスマホを触ることなく色々な操作ができるなど、とんでもない世の中になったものだ。


 正直まだまだ生活が楽になるというレベルではない。Google home対応の照明もあるが、値段がお高め。アーリーアダプターの人でもない限り手を出せる金額ではない。一般の人でも買えるような値段になり、連携できる機器が増えるのはまだ先だろう。

 

 本体は数千円で買えるので、手軽に未来を感じたい人にはいい商品であろう。


 次回はリビング編をお届けする。

返信

お元気ですか?


私はこの子のおかげで、止まることのない毎日を送れています。


その楓のような手のひらが、私の幸せ。


選んだ道と選ばなかった道が、結局どこかで繋がっていて、私は今日も生きている。


私は少し痩せて、あなたは少し自由になった。


どこにでもあるような道を進み、たどり着いた電波もつながらない浜辺。


夜の街頭の下で読む手紙は、もうぼろぼろになっている。


目も合わせられずに歩いた砂浜の上に、汚れた10円玉のような月が浮かぶ。


ここにいるのが私ではない誰かなら、きれいな物語だと思えるのに。


あなたが教えてくれたこと。


失うことによって知ることができたのは、自分の愚かさだけだと。

 

手紙 - 甘ブロガーの華麗なる戯言


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手紙

お元気ですか?


私は相変わらず、バカやってます。


体の弱いあなたは、また風邪を引いているのかも。


繋がっているような、繋がっていないような私たち。


何をしてあげたいのだろう。

 

何をしてほしいのだろう。


花火の終わった祭りの後、電車の中で私たちは手をつなぐ。


何かを伝えたような、伝えてないような場面で目が覚める。


玄関のベルが鳴り、ドアの向こうにふてくされた顔であなたが立っている。 


私は何も聞かずにおかえりと言う。


あの頃とひとつだけ変わったことは、あなたがちいさな女の子を抱いているということ。


あなたと同じように肩を揺らして笑う、その子の暖かな重み。


あなたと一緒に生きる道を選んでいたら、あなたの大切さはわからなかった。


あなたと別の道を歩んでいったから、あなたのことを大切に思えた。


あなたが教えてくれた。


失うことでしか、本当の意味を知ることができないのが愛なのだと。

 

返信 - 甘ブロガーの華麗なる戯言


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「友だち」という居場所

 あなたには友だちはいるだろうか?私はいない。


 私は32歳なので、今まで遊んでいた友人はだいたい結婚した。子どもも生まれたら、こちらから誘うのは申し訳ないので、向こうから誘ってくるのを待っていたら、いつの間にやら疎遠になった、というオチだ。

 


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割とドライな男

 


 女性の場合は結婚して子どもが生まれてもよく遊んでいる印象があるが、男は割とドライなものだ。20代前半の時は、私の幸せの価値観は「ド昭和」だった。

 

 友だちを集めて飲み会をして騒ぎ、二次会でカラオケに行って朝まで歌い、日が昇る頃に帰る。そういった週末が多かったように思う。


 私は寂しかった。20代前半の頃はなかなか彼女ができず、趣味もなかったので休みの日はすることがなかった。

 

 一日中ネットサーフィンをしたり、あてもなく車で遠くまで行ってみたり、時間を潰すだけの日々…なので片っ端から知り合いに連絡をとって、とりあえずなんとか盛り上がろうとしたのだ。

 


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結婚ラッシュ

 


 そんなことをしている間に他の友人はどんどん結婚して、今では私だけが独身のままだ。数年前までは年に数回くらいは集まっていたけど、半年ぶりに会っても30分で話題がなくなる始末。今では連絡さえとらない。つまるところ、そこまで気が合わなかったのだろう。


 今にして思えば、無理をしていた。趣味が合うわけでもないし、お酒が好きなわけでもない。一緒にいて落ち着くわけでもない。ただ暇人同士が集まってリア充のふりをしていただけなのかもしれない。


 もし本当に気が合うなら、結婚しようが子どもが生まれようが住む場所が違おうが、なんとかして会うはずだ。車で数十分のところにいるし、連絡先もわかるのに関わらないのは、その程度の仲だったということにほかならない。


 字面だけ見ればとてつもなく暗い話と思われるかもしれないが、私は友だちがいないことに絶望しているわけではない。ただ過去を振り返り、事実を述べているだけだ。

 


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転換点

 


 友だちは確かにいない。しかし20代前半の頃から変わったことの1つは、趣味ができたことだ。趣味でギターを弾き、ミニライブなどに出て人の集まるところに行くようになった。


 すると、たくさんの仲間ができた。そしてその仲間はこれからも増えていく、そんな希望さえも抱けるようになった。そう、友だちはいなくなったが、仲間ができたのだ。


 友だちでもなく、職場の同僚でもない人と関わりを持つのは不思議な体験だ。音楽の話で盛り上がるけど、その人が何の仕事をしているのかとか、どこに住んでいるのかなども知らない。共通の趣味があるなら、ヤボな質問はする必要がないのだ。


 私は本当は1人が好きなタイプなのだろう。しかし趣味もなく恋人もいない状態なら気が合わなくても友だちにすがるしかない。


 音楽仲間とは普段から連絡を取り合ったりなどはないが、ミニライブの時などは話したりして盛り上がる。そういう場所がいくつかあるので、順番に回っていけば飽きることもない。

 


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「友だち」という居場所

 


 確かに私には友だちはいなくなったが、孤独を感じることはなくなった。好きなことで繋がれる人がいるのは精神衛生上も都合がいい。

 

 休みの日に誰かと居ることはほとんどなくなった。練習したりブログを書いたりしている。それが私には合っていると30歳を越えてようやく気付いた。


 無理に友人を作る必要はない。それは私の例を見てもらえばわかっていただけたと思う。しかし、好きなことを見つける努力は怠ってはいけない。


 もし運良く見つけることができたなら、あなたの人生は何倍にも豊かになる。