Story of my life

日常に転がる疑問を掘り下げるだけ掘り下げて放置

アニュアルリング

 私の知り合いでジョギングが趣味の人がいる。毎週水曜日と土日は走っているらしい。


 先週の水曜日に話していると、「今日水曜日か、走らないとなー」といっていた。


 本人曰く、水曜日に走ると決めたから走っているだけで、特別楽しいわけではないとのこと。


 それを聞いて愕然とした!楽しいわけではないのに続けられるとは!

 


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 しかしそれくらいがいいのかもしれない。


 なぜなら、やる理由の数だけ言い訳をする余地も増えることになるからだ。


 シンプルに、「決めたからやる」


 そこに必ずしも楽しさやメリットを設定する必然性はなかったのだ。

 


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 続けていれば何かしら得るものがあるというより、続けること自体にメリットがある。


 中身が伴うのが一番いいが、中身のことばかり気にしていたら、続けることが苦しくなる時もあるだろう。


 積み重ねることが人生なんだなぁ。

つぶやかない

 最近ツイッターをしなくなった。


 急かされている感じがするのだ。


 ちょっと置いただけでも目まぐるしく変わるタイムライン。


 私の発言も太平洋に落とした一滴の水くらいの効果しかないのかと思うと面倒になってくる。

 


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 しばらく開いてもいないから、アプリを開けたときの鬼のような通知を見るのも面倒だ。


 フォロワーも減っているだろう。そういった事に一喜一憂してしまう性格だから、性に合わないのだろう。


 フォロワーを増やすために1時間おきにツイートしてみたり、自分からどんどん絡みに行ったり…片時もスマホを離せないのもゲンナリする。

 


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 そのようにしてフォロワーを増やしている人は確かにいるが、似たような発言も多いので、その人のツイートにいちいちいいねをするのも疲れる。


 ブログのようにマイペースにできるものの方がいい。

おや?○○の様子が…

 基本的に男は物事を分析したがる生き物だ。男はそうやって自分を成長させていく事に喜びを見出す。


 おそらく大抵の男は子供の頃にゲームをしていたから、レベルアップしていく感覚が好きなのだろう。

 


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 楽しもう、というより、良くしよう、という気持ちのほうが強いのが男なのだ。というか、良くしていく事が楽しいのだ。


 しかし恋愛において、過去の判例はあまり役に立たない。


 似た傾向はあれど、女性はひとりひとり違う。当たり前だが。


 だから恋愛をもっと良くしよう、とするあまり、過去を分析して改善点を見つけようとする。しかし当然目の前にいる相手は別の人だから噛み合わず、また分析…そしてドツボにハマる。


 男にとって過去とは自分の経験値である。自ら捨てることなどできない。

 


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 しかし恋愛においては、いつも初心者で、いい意味で過去のことは参考にするべきではない。


 自分ではどうにもできないと思ってしまえば、必ず受け身になってしまう。そのほうが楽だからだ。


 その都度捨てて、また1から始めることを楽しむ。それが男にとって、怖がらずに恋愛する方法なのかもしれない…と思った今日この頃。

おひさま笑顔

 先日、甥っ子が生まれた。

 

美しき生命 - Story of my life


 1つ気付いたことがある。なんと、もう笑顔のようなものを見せるようになったのだ。


 もちろんまだぎこちないが…

 


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 医者の話によれば、それは筋肉の運動なので笑顔ではないらしい。


 しかしそれなら笑顔である必要はないはずだ。眉間にシワを寄せる、とかでもいい。


 まだ目も開いていないし、そもそも視力もまだよくないらしいので、笑顔がどういうものなのかもわかってもいないはず。


 それでも人は笑おうとする。


 人は、笑うことが理にかなっているということなのだろう。


 まだまだ小さな存在だが、その笑顔に確かな生命力を感じた。

かまってちゃん

 私は基本的にかまってちゃんだ。


 自分の方から人に話しかけるのが苦手なので、誰かに話しかけてもらえるのをひたすら待つタイプ。


 しかし私の第一印象はあまりよくないらしく、話しかけてくる人はほとんどいない。


 頑張って自分の方から話しかけようと努力していた時もあったが、自分から話しかけてもあまりいい印象にならないみたいで、結局そういった努力もしなくなった。

 


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 やはりなんというか、話しかけにくいオーラがあるのだろう、自分では出しているつもりはないのだが。


 世の中には話しかけやすいオーラをまとっている人もいる。


 近くを通っただけでみんなが話しかけてくるような人。


 羨ましいといえば羨ましいが、変な人からも好かれてしまうらしいのでどっちもどっちなのだろうか。

 


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 自分という存在はそこまでというか、全くといっていいほど別にいなくても困らない存在だ。


 ネガティブな発言ではない。逆に身内以外でこの人は絶対に代わりがいない!と思えるような人がどれだけいるだろうか。


 関心を持つわけでもなく、持たれるわけでもないのに、人はどうしてやりたいことができずに、言いたいことが言えずにつらい思いをしてしまうのか。


 その一方で、やりたいことを貫き通すこともまた孤独な戦いになる。


 理解してくれる人が現れるまで、貫ける人は多くはないだろう。


 もっとマイペースに生きていけたら、時間はかかってもかまってくれる人に出会えるはず。

美しき生命

 先日、ついに甥っ子が生まれた!


 私が妹に会いに行った時にちょうど陣痛が始まったのだ。


 TVやドラマでそういったシーンを見たことはあるが、やはり知っている人が眼の前で痛みに襲われているのを見るのは全く別次元の光景だった。

 


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 世の母親たちは本当にすごい!そして私もそんなふうにして生まれてきたのだと思うと、母には感謝しかない。


 男は大怪我でもしないかぎり、あんな痛みに襲われることはないだろうからな…


 旦那の方もずっと妹を励ましていて、その光景に感動してしまった。いい男と結婚して、兄としてこんなに嬉しいことはない。


 私の子どもではないけど、誰かを守りたいという気持ちになるのは初めてだ。


 しかしそれは両親の役目。私は静かに見守ろう。

 


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 人が生まれて人生を歩んでいくのは、本当に奇跡みたいなことなんだと思い知った。


 少しのお金と、健康と、前向きな気持ちさえあれば、人はどんなことでもすることができる可能性を持っている。


 私も改めて、今できることを全力でやっていこうと思えた出来事だった。

君の仕草が滑稽なほど、優しい気持ちになれるんだよ

 「獣になれない私たち」というドラマで印象的なセリフがあった。


 主人公ガッキーと恋人の田中圭の会話。2人でバーで飲んでいると、田中圭がひとりのド派手な格好をした女性に気付く。


 それを見て田中圭は、「あんな服着て一体誰にアピールしてるんだろうね?」


 ガッキー「アピールとかじゃなくて、自分が着たいから着てるだけなんじゃない?」

 


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 日本は狭い。とても窮屈だ。物理的な意味でも精神的な意味でも。


 他人との距離が近いから人の目を意識せざるをえない。特に私のようなパーソナルスペースが狭い人はなおさら生きづらい。


 ふと、自分がやりたいことをやっているのではなく、他人にヘンに思われないことをやっていることに気付く。


 特に男は何か深い意味があるのでは、とか裏があるのでは、といったふうに妙に話をややこしくしたくなる生き物だ。


 本能のままに生きている人を見ると羨ましく思う。


 自分で勝手にイライラしたり、へこんだり、悩んでいるのは、他人から見たら滑稽であろう。


 そんな自分を笑い飛ばしたくなった今日この頃。