矛盾に満ちたオバサマについての論文 1/2
一部不快な思いをしてしまう方もいらっしゃるかと存じますので、敬意を込めてオバサマと呼ばせていただきます。
そう、お年を召された淑女、オバサマのことでございます。
もちろん皆が皆と言うつもりは毛頭ありません、それを大前提とさせていただきます。
とはいえ結構な頻度で、少々私の神経にさわる言動をしてくるオバサマがいらっしゃいます。
それはこういったタイプのオバサマです。
お年を召された淑女オバサマ、あえて歯に衣着せぬ言い方をさせていただくのなら、若い頃に比べて少々見た目が衰えてきたオバサマですが、おそらくはそのことについて自分でも多少なりとも気付いていらっしゃることと存じます。
見た目が衰えてくること、それはもちろん悪ではございません。
老化とは自然の摂理であり、若くして亡くならない限りは誰もが等しくその十字架を背負うこととなります。
それを悪だなどとのたまうことなど、人類に対する冒涜であると声を大にして主張したいほどでございます。
とはいえ、自らの見た目が衰えてきたことについて、多少なりとも恥ずかしく感じているオバサマがいらっしゃいます。
しかしそのことを、必要以上に卑下して「私なんておばさんだから。。。」などとわざわざ、しかも何度も何度も繰り返し言うオバサマ。
先程も申したように、それはただの自然の摂理です。それをそこまで「いやいや私なんておばさんだから、そんなに見ないでください」なんて言われると、こちらとしては反応に困るわけです。
堂々としろとは言いませんが、必要以上に卑下するのを聞かされるこちらの身にもなっていただけると、多少なりともフォロー、ないしは勇気づけの一言くらいは言える私でありたいのです。
それだけならまだ私も疑問に思ったりはしません。
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