Story of my life

日常に転がる疑問を掘り下げるだけ掘り下げて放置

四民平等

自己犠牲

 

 かつて日本には「切腹」という、いわば自殺をする制度があった。生き恥を晒すくらいなら美しく死んでいけ、そんなところだろうか。


 例えば古代エジプトでファラオが死んだ時に従者を生き埋めにするなど、宗教の絡んだ自殺ならあったろうが、そういった理由もなく自殺をする日本の武士は、世界的に見ても驚くべき存在であろう。

 


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 日本人はそういった、「自分を犠牲にしてるオレカッコいい!」精神があるのだろう。昔これだけ頑張った、こんなに苦労したなどといった話をする人が多いように思う。


 あまりにもそういう人が多いので、私も感化されていた。私は基本的に器用で何でもできたし、これといった苦労もしたことがない。だから、特に苦労したことがない私はダメ人間なのだと思っていた。何の苦労もなしにぬくぬくと生きてきた自分は恥ずかしい存在なのだと。

 


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ゆとりは悪いことなのか?


 しかしたくさんの人と関わる中で感じたことがある。人にはそれぞれペースがあるということ。私は趣味でギターを2年前から弾き始めたのだが、何十年と弾いてる人でも私より下手な人もいる。しなくてもいいような仕事をだらだらと続けて時間を稼いでる人もいる。


 そしてこう思うようになった。「苦労している人は確かにいる。しかし辛い思いをしているからといって偉いわけではない。」と。


 これは日本の労働環境にも当てはまる。無駄な残業が多いが、やっている本人は定時できちんと終わらせた人よりも自分の方が偉いと思っている。だからいつまでたっても職場が良くならない。

 

つらい思いをすることのメリットとは


 つらい思いをすることにはメリットなどないと思うが、いくつかメリットがある。自分を褒める理由になること、そして人の同情を買える(と思い込める)こと。


 しかし自分で自分を褒めるのは危険な行為だ。それは自信に繋がらないどころか、自尊心を太らせるだけになる。


 他人の同情を買えるのも限定的だ。よほどその人のことを気にかけている人でもない限り、他人の苦労話など退屈なことこの上ない。


 「世の中そんなにあまくないよ」


 この言葉は間違ってはないだろう。しかし、したくない事をしないで生きる方法を模索した人がどれだけいるだろうか?何となくこの言葉を真に受けているだけなのではないか。


 偉い人間などいない。ただ生き方の好みがあるだけで、そこに優劣はない。