Story of my life

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なぜ争いはなくならないのか?


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私(34才♂)、昨日と今日の2日はずっと動画を見ていました。

 

 

 


進撃の巨人というアニメです

 

 

 


争い、憎しみの連鎖、宗教、洗脳といった、少年誌でやるには結構重いテーマなのですが、後半になるに従って物語はさらに暗く、重いものになっていきます。


あまり少年少女に勧められるような内容ではないですが、大人にはぜひとも見ていただきたいですね。

 

 

 


もちろん争いを好んでいる、という意味ではありませんが、私は戦争とか宗教の話が好きなのです。


なぜ世界から争いがなくならないのか、考えてみたことはありますか?


それは多分、怒りって生きる原動力になるからじゃないでしょうか。


逆に、喜びは生きる原動力としては弱い。


日本は平和な国ですから、身近な誰かを殺されたなんて人は少数派でしょうが、そういう極端な例でなくても、


同級生にかけっこで負けて悔しい思いをした、


友だちのほうがテストで点数が上だった、


同じ時期に入ったのにあいつは部活で活躍している、


ゲームの対戦で負けて悔しい、


ちなみにこれは今まで私が悔しいと思ったことなんですが、あなたにもこういう経験ありませんか?


私はこういう時、力が湧いてきたんです。


だから、人は争いを恐怖しながら、同時に争いを求めてもいるんじゃないかと思います。

 

 

 


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人間も含め、生物の基本は生き残り子孫を残すことが目的ですが、それならなぜ生物は闘争心というものを持っているのでしょうか?


そもそも闘争心を持っていなければ、争うことを避けているはずなのに。


ということは、闘争心を持っている生き物のほうが、長生きできたから生き残った、こう考えるほうが自然でしょう。


争い、強い個体が生き残る方が全体としてプラスになるから、生き物は闘争心を持っているわけです。


つまり、生き残るためには闘争心が必要ということなんだと思います。


別の言い方をするなら、生き残ることと闘争心はセットになっていて、どちらかだけを得ることはできないわけです。

 

 

 


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進撃の巨人の話からだいぶそれましたが(笑)、自分の中に怒りを感じるたびに、自分の遥か祖先はケダモノだったのだなと思うことがあります。


生きるためには、怒りが必要なのです。


ただ、人間はその矛先をどこに向けるべきなのかを、間違えているだけではないかと思います。

 

 

おわり

 

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