Story of my life

日常に転がる疑問を掘り下げるだけ掘り下げて放置

HIKAKINってマジですごいよね

今現在、小学生にもっとも影響力があると言っても過言ではない男、HIKAKIN

 


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 世間は妙にというものを美化して話しがちになる。


 プロ野球選手、警察、パティシエなど、夢を持つことは美しいと。それはそれで間違いない。私も夢を語るのは好きだ。


 かつては夢を語る時にあまり現実的なことは表に出していなかったように思う。しかし今の時代は違う。


 YouTuberを見ていて、一日中ゲームしたり、楽しそうなことをして羨ましいな、などと言う人があまりにも多すぎる気がする。


 HIKAKIN氏を例に出して言うならば、貯金を100万円貯めるために二年間ほど毎日200円くらいの弁当で生活したり、YouTuberとして稼ぎ出した時は、2年間全く休みなく動画を撮影し、編集し続けるといった生活をしていたらしい。


 たとえ好きなことや趣味だとしても、一週間ぶっ続けでできる人もそう多くないのではないか?


 ましてやそれがまだ収入につながるかもわからないことを、ずっと続けられるそのメンタルを持てるだろうか?


 これでもYouTuberを好きなことして稼いでるなどと軽視できるだろうか?


 私にも趣味や好きなことはあるが、一週間続けるのも無理だろう。どこかで間が持たなくなる、すくなくとも今の段階では。


 美しい理想を実現するには、語るにも値しない地味な努力が、気が遠くなるほどの規模で積み重ねられている。


 村上春樹のエッセイ「職業としての小説家」でも語られていた。出来上がった作品がいくらかほめられることはあっても、それを作り上げる過程を褒めてくれる人はどこにもいないと。


 毎日何時間も動画の編集をして、細かいところを撮り直し…これをひたすらに積み重ねられる人などほとんどいないだろう。


 その先に億万長者の生活が絶対に保証されているわけでもない。よほど純粋な気持ちでなければ常人にはできないはず。


 今日久しぶりに漫画を読んだ。それさえも時間の無駄だと思えてきた自分…自分にとってなにかメリットがなければできない人間というのが大半だ。


 そのメリットも目に見えてちゃんと相対性のあるもの…一番わかりやすいのはお金だが、そういった得るものがないと基本的に人は行動できない。


 しかし好きなことをし続けるというのは、目に見えるような、相対的なメリットは人にはわからない。


 それを貫くことができたHIKAKIN…


 夢を語るのは簡単だ。私もそんな情熱が欲しい。小さなことでいちいち自信を失いたくない。


 真っ直ぐな気持ちで生きていきたい。

本田翼さんがYouTuberになった事の社会的な意義

「本田翼さんが社会に与えたインパクト」

 

 最近、とある意外な人物がYouTuberとなった。モデル・女優の本田翼さんである。


かねてより熱烈なゲーマーとの噂だったが、今回ついにYoutubeにて自身のページ「ほんだのばいく」を開設。

 


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 残念ながら初回の放送は見逃してダイジェストしか見ていないのだが、昨日第二回目の配信を見ることができた。


 信じられないことに15万人規模の視聴者が!!!チャットのページは常にフル回転で見ていると酔いそうだった。最初から最後までずっとコメント欄が止まらなかったのだ。本田翼恐るべし。


 正直いって、女優がバラエティ番組に出たときのような、なんともいえない微妙な盛り上がりしかしないだろうと思っていた。


 好きな女優がバラエティにでるなら見るが、女優の普段はあまりテンションが高くないのだろう、もはや見た目で楽しむしかない時さえある。


 それに私はそこまで本田翼の熱烈なファンでもなく、贔屓しているわけでもない。本田翼が何のドラマに出ているのかも知らない。


 そのくらいハードルを低くして見たからかもしれないが、本田翼のゲーム実況は控えめに言ってもかなり面白かった。

 


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 トーク力と言ってもゲーム実況の話は基本的には独り言のようなものだ。ゲームしながら話をするのもなかなか難しいだろうに、かなり軽快なトークをしている。

 

 その上でちゃんとゲームの紹介などもしている。一時間ほどの配信だったが飽きることなく見ることができたのだ。予想以上にクオリティの高いゲーム実況であった。


 本田翼が実況を始めたことで、そのYouTuberとしての広告費がどれほどのものになるかといった検証がいくつか現れた。中には年収1億ほどになるとの計算もあったが、本人はあくまで自腹でゲームを買って広告もつけていないといっているので収入はないらしい。


 しかし本人が好むと好まざるに限らず、一度の配信で15万人もの人を集めることができるのだ。そのマーケットの影響力は大きいはず。それを狙ったハイエナ共が彼女や彼女の事務所に近寄ってくるのは避けられないであろう。

 


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 しかしここまで知名度のある女優がYouTuberもやるというのは、これは事実上の副業解禁のメッセージであろう。

 

 本田翼はおそらく純粋なゲーム愛からゲーム実況を始めたのだろうが、この社会的な意義は小さくない、というか絶大なインパクトを社会に与えただろう。


 昨日の実況のトーク内容から、おそらく本田翼の家ではなく、所属する事務所内から配信していたと思われる。事務所も全面的に協力しているのだろう。もちろんセキュリティ上の問題から、家でできないだけかもしれないが。


 本田翼のYouTuberデビュー。世の中に対して、これだけ有名な人でも副業をやっていいんだというメッセージになりうる。これを機に様々な会社が副業解禁になるかもしれない。ということを私は期待している。

 


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 いくら政府が副業解禁したり、完全に死語になりつつあるなんとかフライデーみたいな政策をうっても、その政府を信頼している人がそもそもいないのではお話にならない。彼らに投票しているのはあくまでも投票する方にも何かメリットがあるからそうしているだけで、それは信頼ではなくただの取引すぎない。


 なぜ政治家は信頼されないか?それは彼らの大半が社会人経験がないせいであろう。一般庶民の生活からかけ離れたところから物事を判断している。それが彼らの発言が虚構にしか聴こえない原因の1つであろう。


 しかし芸能人は結構有名な人でも駆け出しの頃は極貧生活を送っていたりと、下手をすれば一般庶民よりもひどい生活をしていた時期があったりして、底から這い上がってきた人たちの発言にはおのずと説得力がでてくる。なので社会的な影響力のある女優なり俳優なり、企業経営者なりのほうが、もはやその声を届ける力がある。


 かなり大げさな話にまで飛び火してしまったが、本田翼がいかにすごいことをしているかはわかっていただけたと思う。


 女優✕YouTuber、この相乗効果は計り知れない化学反応を社会に知らしめることになるだろう。

 

 


あれ…?なんか忘れているような…



 


!!!

 


草なぎ剛もYouTuberになったんだっけ!何してるんだろう…

村上春樹「職業としての小説家」

 私はたまに本を読むのだが、村上春樹の本が好きだ。といっても、読んだことがあるのは1Q84以降の作品だけで、初期から中期の作品は読んだことがないのだが…


 これでファンだと言ってもガチ勢からはナメられるだろうが、とにかく彼の文章が好きなのだ。

 

 些細な違和感をずっと感じるような物語とでもいえばいいのだろうか、例えばいつもの場所に置いてある小物の向きが、少しだけ変わっている気がする…みたいな背筋が寒くなるような感覚。


 特に最新作の「騎士団長殺し」などは夜中に読んでいるとかなり怖くなったシーンがあった。ホラー小説でもないのに文章の力だけで恐怖を感じさせるなんて、プロの力は恐れ入る。


 そんなこんなでたまたま目に入った村上春樹のエッセイ「職業としての小説家」は、読んでいてすごく腑に落ちる内容だった。
なんとなく彼、というか彼の文章に感じていたことに近いことが書いてあったので嬉しくなったりもした。


 村上春樹の本を読んだことがない人からすれば、その名前を聞いただけで難しそう、といった感覚を持つらしいのだが、私としては全く逆だと思う。彼の書く文章はかなりシンプルで読みやすい。小難しい言葉も比喩も殆ど出てこない。


 唯一難しい部分があるとすれば、話のあらすじであろう。その小説が一体どういう話かということを説明しづらいのだ。ノンフィンクションからフィクションへ移行してく感じ…本を読み終わったとしても、物語としては描かれていないところでもずっと続いていっているようなエンドレスループ感…シンプルな文章をながら、話自体はとてつもない重みを備えるという矛盾を抱えた物語だからそんなふうに感じるのかもしれない。


 それまでの文脈に関係がないような例えを使ってみたり、敬語だったのが急にタメ口になったり、意味があるのかないのかわからない文もある。そこで読む人(私も)が勝手にドツボにはまってしまうということもあるだろう。


 この本は二年ほど前に買って、その当時も面白いと感じたが、今自分でブログで文章を書くようになってさらにこの本の言わんとすることが理解できた気がする。やはり物事を理解するには、自分でやってみるのが一番早いのだ。もし彼のことをもっと理解したいと思うなら、自分で小説でも書いてみるのが早いはず。


 物語を描くのは、誰にでもできることと彼は言う。そこでは自分は何者にもなれるのだと。そんな自由を味わってみたい。

 

お題「好きな作家」

自立ってなんだろう

 自立とは、自分で自分の面倒を見ること。しかし自分たちの意識していないところで、社会に支えられている面もある。


 一番簡単な例は会社員であること。働いていれば、それだけで社会の一員として信用される。


 今、私は無職である。体調を崩して仕事を辞めた。自分の中でそれは言い訳にはならないだろうと思っていたが、世間は違う。


 無職というだけで可哀想な目で見られたり、気を使われる。びっくりするくらい信用もされない。


 働くことは当たり前というか、働くことが人間として大前提という空気感が社会に溢れている。


 別に何年も働いていないわけではない。数ヶ月だけだ。しかし、そんなことは世間からすれば関係のないことなのだろう。


 なんとなく世間から自分の存在を無視されている気がする。働いていた時は気付かなかったが、会社員というだけで社会に守られていたのだ。


 貯金があるから別に働かなくてもいいとか、保険があるからもうしばらく大丈夫とか、そんなことは世間はお構いなしだ。


 とにかく何かしらの組織に属していなければならない、そういったいわば「沈黙の村八分のような圧力を感じる。


 人は何かしらの組織に属することによって敵と味方をわけている。というか、わけなければ気が済まない生き物なのだ。


 そして社会という組織に属するのは大人として最低限度。それすら満たしていないなら信用されない。


 キングコング西野亮廣さんはかつて、ひな壇芸人というものを拒否し、猛烈なバッシングを受けた。


 当時は芸人ならひな壇にでるのが当たり前だった。しかし彼はそれを拒否し、日本中から叩かれた。


 彼の言い分によれば、芸人という肩書にとらわれたくないと。そう、肩書で人は人をわける。しかし彼はそんなことに興味はなかった。


 自分の信じた道を一人で歩く決意をしたのだ。


 私は世間を無視している認識はないが、世間は私を無視しているかのように感じる。最低限の入場料も持っていない人間だと。


 結果を出していない人間に同情してくれるのは身内くらいのものだ。


 私には借金はない。働いていないが社会保険や住民税などもすべて払っている。


 一般の会社員と同レベルの税金を払っている。しかし何かが足りないと思われている。


 私は自立しているのだろうか?自分で自分のことを認めても、世間は認めてくれない。
社会という組織に属するのは当たり前というよりも、意識すらできないコミュニティ。


 働いている私と、働いていない私は同じ人間ではないのか?


 この怒りは忘れずにいよう。

 

孤独

孤独を感じるメカニズムを解明してみよう。
大まかに分けて、人には3つの居場所がある。


1.家族、恋人(血の繋がり、心の繋がり)

「家族」という居場所 - 甘ブロガーの華麗なる戯言


2.友だち、趣味の仲間(生きがいの繋がり)

「友だち」という居場所 - 甘ブロガーの華麗なる戯言


3.職場(お金の繋がり)

「職場」という居場所 - 甘ブロガーの華麗なる戯言


 孤独とは、自分が組織、コミュニティと繋がっていないと感じてしまうことだ。その主な繋がりとは上の3つ。これら3つの場所と繋がっていると思えるかで幸福度が変わる。

 しかし孤独の最大の特徴は、他の部分がどれだけ満たされていても、他の部分で代用できないということだ。この3つは完全に独立しているという認識を持たなければならない。


例えば、


仕事がうまくいっているからといって、友だちがいない寂しさを埋めることはできない。


沢山の友だちに囲まれているからと行って、恋人のいない寂しさを埋めることはできない。


お金をたくさんもっているからといって、愛してもらえるとは限らない。

 


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 人は孤独を感じるとつらくなる。しかしこれは誤った考え方だ。


 多くの人が勘違いしてしまうのは、孤独にどうしても負けてしまう…とか、孤独に打ち勝つ!など、孤独と勝負してしまうことだ。


 勝ち負けといった概念で考えていては、いつまでたっても孤独を理解できない。なぜなら孤独を感じるのは、人間として当然の事なのだ。


 孤独を別の言葉で言い換えるなら、危機感といってもいいだろう。


 人間は危機感を感じることによって成長する。このままではいけないという思いがなければ、だらだらとしてしまうのが人間だ。

 


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 あなたが望むもの全てが満たされた状態を想像してみよう。もしそうなったら、あなたは何かをしたいと思えるだろうか?


 きっと何も浮かばないだろうし、さらにいうなら、その満たされた状態がなくなるのを恐れて身動きが取れなくなるはずだ。


 あなたが孤独を感じる要素全てがなくなったと想像してみよう。もしそうなったら、あなたは何かを欲しいと思うだろうか?


 孤独を感じるのは、本能が理性を蹴飛ばしているからだ。


 孤独を感じなければ、勇気を出して行動してみようとは思わない。このままではいけないと、自分を戒めることもできない。


 孤独は人を成長させるためのカンフル剤なのだが、多くの人は孤独を悪いものとして閉じ込めようとする。孤独を拒否することは成長することを放棄する事と同じなのだ。


 孤独を長年の友人のように受け入れ、その声に耳を傾ける。その助けを呼ぶ声は、自分自身のものなのだ。

強い意志を持つというジレンマ

ダイエットに失敗した…
仕事でヘマをした…
失恋した…


 多くの人は一度は経験したことがあるだろう。失敗したことによって落ち込んで、もう二度と同じ過ちを繰り返さない「強い意志」が欲しいと願うのは、誰もが思うところだ。


 しかし殆どの場合、強い意志が欲しいと思いながらもそうなれない。


 自分の気持ちを奮い立たせて、鉄の意志を保ち続けるなんてことは、全く不可能ではないにせよ、ほとんど無理といってもいい。

 


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 ここでひとつ、考え方を変えてみよう。


 例えば、あなたは失恋し、ひどく落ち込んでいる。嫌な事を思い出さないように、強い意志が欲しいと思っている。


 ここで注目して欲しいのは、あなたが失恋したという事実。


 失恋したということは、あなたは恋をしていたということ。当たり前のことだが、まずこのことを思い出して欲しい。


 恋をしていたということは、あなたは何かしらのアクションを起こしたということ。あなたが何もしなくても男がよってくる美人でもない限り、何かしらの行動はしたはずだ。


 つまり、あなたは行動なり挑戦なりをしたということ。何も行動を起こさずに、挑戦もせずに恋になることはありえないからだ。何も行動せずに手にした恋なら、あなたはそもそも落ち込んだりはしないはず。行動や挑戦をしない人に恋はできない。すなわち失恋もできない。


 世の中には何一つ行動もせず挑戦もしない人がたくさんいる。でもあなたは行動した。


 何がいいたいのかと言うと、あなたはすでに、強い意志を持っているのだ。あれほど欲しいと願った強い意志。それはもう、あなたの手の中にある。行動するには強い意志が必要だからだ。そう自分を認めることから始めてほしい。


 あなたは強い意志をすでに持っているから、もう欲しがる必要はない。


 でも事実、あなたは落ち込んでいる。さて次はどう考えればよいか。

 


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意志が強い≠落ち込まない

 


 あなたはなぜ強い意志が欲しいと思ったのか?その理由は、落ち込みたくないから、ということだ。


 しかし先程も言ったとおり、あなたはすでに強い意志を持っている、でも落ち込んでいる。


 次のステップは、落ち込むことを受け入れること。落ち込むことを受け入れるにはどうすればいいのか、これははっきりいって1つしか方法はない。


それは、失敗に慣れることだ。私が思うに、人が落ち込む理由の90%は、失敗することに慣れていないから、である。


 例えばあなたが子どもの頃、自転車に乗れるようになった時、たくさんころんだのではあるまいか。でも最後には、ちゃんと乗れるようになった。それが慣れだ。


 慣れるためにはたくさんの失敗をこなさなければならない。


 つまり、落ち込むことを回避するのに必要なものは、強い意志ではない。それは、失敗に慣れることなのだ。


 ここにジレンマが生まれる。

 


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失敗に慣れる方法

 


 失敗して落ち込みたくないと思ったら、どうしても行動することに二の足を踏んでしまうようになる。


 失敗したくないという恐怖で行動ができなくなるというジレンマが生まれる。この負のスパイラルに入ってしまうと、行動するモチベーションがどんどんなくなっていってしまうのだ。


 失敗して落ち込みたくない、失敗したくないと思うなら、失敗を重ねて慣れるしか方法はない。もしくは、失敗に対する認識を変えること。

 

 あたかもスタンプカードのように、10個失敗したら1つ成功をもらえる、そんなカジュアルな認識を持つ。

 

 もしあなたが自分の失敗をそんなふうに思えなくても、第三者から見れば些細な事である、という見方は知っておかなければならない。

 

 自分の失敗を笑い飛ばせるようになれば100点だ。きっとその先には、見たこともない景色がある。

「職場」という居場所

 お金持ちの家に生まれたり、中東あたりに油田でも持っていない限り、ほとんどの人は会社や組織に属して働かなくてはならない。


 人にはいくつかの繋がりがある。


 そしてその繋がりのなかで唯一断ち切れないのが、「お金の繋がり」すなわち仕事である。

 


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 あなたに家族がいなくても、友だちがいなくても、趣味がなくても、死ぬことはない。

 しかしあなたがお金を持っていなかったら、死ぬ可能性がでてくくる。


 この繋がりは、もとをたどっていけば、日本政府が我々につけた鎖(さらにもとを辿れば連合国)。人とお金を繋ぎ、こちらからは切ることができないような社会にしたのだ。


 切れない繋がりだからこそ、一番依存状態になりやすいのが職場という居場所だ。

 


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長時間一緒にいると…


 一般的な職場というものは、休み時間も含めると10時間ほどいることになる。残業すればもっとだ。


 眠っている間は死んでいるようなものなのでこれを差し引けば、人生で最も長い時間居ることになるのは職場だ。つまり、同僚と一緒にいる時間が家族や恋人よりも長くなるということ。


 週5日、10時間ということは、そこで働いている間は、人生の殆どをそこで過ごすことになる。


 特に残業で夜中まで働いた日など、朝起きて会社に行ったらついさっきまで会ってた人とまた会うのかと妙な感覚に襲われる。


 相手が誰であろうと、よほど相性のいい人でない限り、長時間一緒にいれば嫌なところが見えてくる。そしてこの地球上で、誰かと長時間一緒にいる状態になりやすい場所こそ職場なのだ。

 


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 家族や恋人も長時間一緒にいる状態になりやすいが、家族や恋人の場合、金銭的な繋がりがないので、あなたが地下室に監禁でもされていない限り(もしくはあなたが誰かを監禁していない限り)、離れることは可能だ。


 長く居ればそれだけ仕事とも深く関わらなければならない。職場にいる人とも長く過ごさなければならない。


 何事もそこまで深く関わりすぎないほうが良いのだが、職場という場所にいる限り、避けて通りにくいのもまた事実。


 厚生年金や福利厚生、会社によっては持ち株制度。会社に属していればかなりのサービスを受けられる。言い方は悪いかもしれないが、会社はそれらの制度を使って社員を依存状態にしているのだ。


 あなたがGoogleFacebookの社員でもない限り、職場とはただランダムに人を寄せ集めた場所に過ぎない。そこに気の合う人が居る可能性はゼロではないが、大体は趣味も育ちも全く違い、話す話題に苦労する。全国共通の話題といえば職場や上司のグチか、下ネタくらいのものだ。

 


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 お金の繋がり以外はなくても生きていける。しかし生きているだけでは満足できないのが人間という生き物。


 仕事もお金も人生にはなくてはならないもの。しかしそれだけのために生きていくこともできない


 次は「家族」という居場所と、「友だち」という居場所を考えてみて欲しい。

 

「家族」という居場所 - 甘ブロガーの華麗なる戯言

 

「友だち」という居場所 - 甘ブロガーの華麗なる戯言