タオルを首に掛けたオジサンについての論文 2/2
前回の続きです
恐れ多くもそういった方に一つ知っておいていただきたいのは、雇用というものはそんなに単純なものではないという、一つの理(ことわり)があるのです。
もし交通整理を信号機にやらせてしまうのなら、オジサンの職が失われ、本人ないしはそのご家族の方々も迷える子羊に成り果てる可能性が生じてくるわけです。
私が車の窓からそのオジサンたちに、パンやぶどう酒を分け与えないのは、そういった理由があるからなのです。
とはいえ彼らを見殺しにした事実には相違ありません。いかなる処罰に対しても、私は甘んじてこの身に受け入れる覚悟はできております。
(喜んでゼウスの雷槌にこの身を貫かれよう!)
前置きが長くなりましたがつまりはこういうことです、私の車の窓ガラスの向こう側とこちら側は、まさに北緯38度線とも言い換えることができます。
博識でいらっしゃる私の敬虔なる読者様はご存知と思われますが、北緯38度線とは北朝鮮と韓国を隔てる軍事境界線でございます。
この線よりほんの少し北に生まれただけで、わずかなパンと水をすする奴隷生活を送ることになり、
ほんの少し南に生まれただけで、人類の英知たる文明の恩恵を享受し、概ね幸福な人生を送ることができるのです。
これは私の個人的な見解ですが、人間というものは本質的には大差のない生き物だと存じております。
ただほんの少し生まれた場所が違っただけで、幸福にも不幸にもなる。
もちろん出生を理由に自らの生を蔑ろにすることが許される、なんてことは申しません。それは主に対する冒涜であります。
ただ、貴方が授かった命の理由や価値は、自ら探すことでしか得られないということを知っておいて頂きたいのです。
貴方は線の向こう側にいますか?
それとも、こちら側にいますか?