十字架を背負いし学童たち
今週のお題「自由研究」
社会に出て早十数年の私です、学童だった頃の記憶は遥か遠く、セピア色の向こうにあるかないかくらいの輝きを弱々しげに今の私に投げかけるだけとなってしまいました。
そんな私にはもちろん自由研究などという試練は免除されて久しいですが、これも何かの運命なのかもしれません、個人的に自ら十字架を背負おうと一つの挑戦をしているわけです。
(主よ、われに光を!)
それは敬虔なる私の読者様ならお気づきかもしれません、ここ最近の私のブログの文体が変わっているということです。
このブログも早3年ほど経ちました。(2年目はほぼ書いていませんが)
その中で色々な文章を書いてきましたが、ようやく少しだけ自分らしさというものを闇の深淵から見つけ出せた気がするのです。
それは、とにかく大げさに、時折宗教チックさを出して文章を書くというものです。
私はこのブログを、とてつもなくバカバカしいものにしたいと思っております。
(それがたとえ、主の教えに背くことであっても!)
まとめ記事や紹介記事なども書いてみましたが、正直そこまで手応えがありませんでした、アクセス的な意味でも自分への納得度も。
そういった記事を書いてもそこまで読まれるわけでもないし、書いていて楽しいわけでもない。でもたまに書いていてすごく楽しいと思える瞬間があります。それがバカバカしい文章を書けたときです。
何やらくだらないことを突き詰めてみる…私にとってはそういった文章を書けた時が何よりも快感なのです。
(おお主よ!卑しい私に罰を与え給え!)
そしてようやく見つけた手法が、くだらないことを大げさに、そしてちょっと宗教チックに書くと非常にバカバカしい文章になる、というものなのです。
もちろんその手法が見つかったというだけで、まだまだモノにできてはいません。
(この旅路が長く険しい道であろうと、決して私は歩みを止めまい!)
この手法を使うと自ずと長文になります、長すぎると読むほうが疲れるのでそのバランス感覚を考えるということ、そして長文になるほど話が進みづらくなるので話がブレやすくなるなど、問題も多々あります。
しかし直感ですが、この手法は私に合っていると思います。
(そう、私は知恵の実を見つけ、恐れ多くもそれを口にしてしまったのです!)
この手法をモノにできた時、このブログは真のバカバカしさを手に入れるのです。
それが私の自由研究。主が私への試練として与えてくれた運命(さだめ)
その道程がどれほど遠かろうと、その玉座に一歩でも近づくために、私は私のすべてをなげうつのです。
(誰も私の魂までは奪えまい!)
たとえ主の怒りに触れようとも、私の歩みは止めることはできない。