タオルを首に掛けたオジサンについての論文 1/2
私、ありがたいことに今現在はデスクワークの仕事をさせてもらっております。
ひとえにこの季節、屋外で仕事をしていらっしゃる方々にとっては体力的に非常に大変な思いをされているのは、想像に固くありません。
そのようななか、休日の昼間に車で走っていると、雑草を除去する仕事に従事されていらっしゃる方々を度々目にします。
炎天下のもと、明らかに内部湿度が限界に達しているであろうヘルメットを装着し、日焼け止めないしは怪我防止のためなのか長袖の作業着を着用し、極めつけはその首に巻かれたタオルでありましょう。
そのタオルはまさに、勇者にとっての剣、魔法使いにとっての杖のごとく、オジサンの肩で誇らしげに風に吹かれております。
(つまり我々は、顔を見てこの人はオジサンだなと認識しているのではなく、首に巻かれたタオルを見てオジサンだなと認識している可能性さえあります。この件についてはまた後日改めて論じてみたいと存じます。)
一体彼らオジサンが前世においてどれだけの罪を犯したのか、それは最後の審判の日まで知る術はありません。
(主よ、その深き懐で彼らに慈悲を与え給え!)
罪人でもないのにこの灼熱地獄の中、日陰もない場所で交通整理をしていらっしゃるのを見ると、私のまぶたに光るものがあるのを貴方は見つけることとなるでしょう。
「交通整理なんて、信号機を置いておけばいいじゃないか」
私のブログの敬虔なる読者様につきましては、博愛に満ち、慈しみの心を持ち合わせている方しかおりませんことを重々承知してはおりますが、中には安直にそう思われてしまう方もいらっしゃるかもしれません。しかし…
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