Story of my life

日常に転がる疑問を掘り下げるだけ掘り下げて放置

相手の喜びが、自分の喜び

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今度、女性と食事に行くことになった。
5年ほど前は結構合コンに行っていたので、その当時は色んな人と食事に行った。
 
 
数をこなした自負はあるのだが、未だに何を話せばいいのかわからない。
全く成長のない私だ。
 
 
質問をするのがベターであるとは思う。
誰だって自分の事を話すのは好きだし、聞かれたら聞き返されるという循環も生まれる。
 
 
さらに質問なら、予め考えて食事に挑むことも可能だ。
質問や話題などをメモしていくというのもいい方法の一つだ。
 
 
しかし最初から最後まで質問攻めするというのも無理な話だ。
無理ではないかもしれないが、確実にお互い疲れる。
 
 
どこかの段階で質問ではなくキャッチボールに移行しなければ、楽しさは生まれない。
そしてキャッチボールはある程度のアドリブ力が試される。
 
 
趣味で知り合ったなど共通の話題があればいいが、合コンであるならお互いのバックグラウンドが全く違うという状況も多々ある。
 
 
そんな状態で会話を紡ぎ出すというのは、なかなか大変だ。
 
 
さいわいなことに、今までずっとだんまりで何も話せなかったという事態になったことはない。
 
 
しかし、勢いでなんとかなるだろうと用意を怠ったのは間違いない。
完全に相手をなめてかかっていた。
 

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私には誰かのために何かをしてあげたいという気持ちが完全に抜け落ちていた。
どおりで誰からも相手にされないはずだ。
 
 
余裕のない世の中だから、とにかく損をしたくないという考え方が染み付いてしまっている。
 
 
だから無償で相手に何かをしてあげるなんて、そもそも発想することさえできなかった。
 
 
しかし人間関係においての損というのは判断が難しい。
実際、私は損をしたくないという気持ちで行動していたら、誰からも相手にされず結果的には損をすることになっている。
 
 
まずは相手に得をしてもらわないといけない。
相手に喜んでもらえることが自分の喜びでもある、ということに気付かなければ、いつまでたっても誰にも相手にされないだろう。
 
 
うまくいかないの大体の場合、自分目線でしか考えず、まず自分が得をしようと行動しているからだ。
 
 
相手は何が嬉しいのか、そこを想像してみるのが、うまくいくチャンスなのかもしれません。